こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
私の夫は発達障害グレーゾーン。
ADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向が強く、日常生活における不注意や衝動性に悩む、いわゆる「大人の発達障害」の当事者です。
今日は「発達障害の特性は笑い飛ばすもの?」というテーマでお話しします!
ユーモアの力は偉大なり?
さて、だいぶ前にこんな記事を書きました↓
TwitterはじめSNS上には、多くの発達障害当事者の失敗談であふれています。
中には日常の失敗談をユーモアあふれる表現でたちまち笑いに変えてしまう「ユーモアの天才」がたくさんいます。
自分の失敗を面白おかしくさらけ出し、「それマジであるある!」と当事者同士で明るく笑い飛ばしてしまう潔さ。
とても深刻な内容にも関わらず、見ているこちらまで思わずクスッと笑ってしまうのです。
「ユーモアの力は偉大なり」
当時の私は、彼らの前向きさに敬意を示す意味と、当時苦しんでいた夫との関係をライトにとらえ直したい一心でこの言葉を使いました。
発達障害を受け入れるためにユーモアの力を借りるというのは、一理あるとは思います。
失敗が多くて悲壮感漂う人よりも、失敗は多いけどユーモアあふれる人の方が愛されるのかもしれません。
私も【ADHDを支える妻】として、夫との生活をときに笑いに変えることで、メンタルを保っているところがあります。
ユーモアの力はたしかに偉大です。
でも今は、もっと根本的な問題を考えずにはいられないのです。
そもそも発達障害の特性は「笑い飛ばさなければならないもの」なのでしょうか。
取るに足らない、でも恥ずかしい
ここで、夫から聞いたある女性の話をします。
彼女は発達障害児(ASD)のママで、自分にも息子と同じ特性があることを自覚しています。
彼女は人知れず、「宅配の段ボールの蓋を開けるのが怖い」という悩みを抱えていました。
こだわりなのか、過敏さなのか、、、箱が怖くて自分ではどうしても開けられないため、毎回旦那さんに開けてもらっているそうです。
旦那さんはそんな彼女のことを、「こんな簡単なことさっさとやれば終わるのに」「可笑しい」と茶化すそうです。
しかし私の夫は、彼女の話しぶりからこんなことを感じたようです。
「段ボールの蓋が開けられない」ってたしかにヘンだし、同じ凸凹を抱える人間としては、特性として面白おかしく話してしまえばある意味ラクだとは思うんだよね。でも彼女は何度も顔を覆いながら「恥ずかしい」って言ってたんだ。あぁこれは決して笑ってはいけないことなんだ、と思ったよ。
段ボールの蓋を開けられない話、私はちょっと可愛いな~なんて思ってしまったのですが、本人からすれば重大な悩みなんですよね。
周囲が笑い飛ばしてしまうような取るに足らないこと。
面白おかしく話してしまえば「親しみやすさ」に変わるような特性。
たとえそうであったとしても、本人にとっては恥でしかない・・・
当事者のこうした感覚こそ、第一に尊重すべきものだと感じています。
「笑えない当事者」に思いを馳せる
自分という人間を周囲に理解してもらうために、発達障害の特性をあえてユーモアに変えて発信する。
(賛否はあると思いますが)こうした「笑い」は、マイノリティである発達障害当事者がマジョリティの理解を得る手段として、ある意味とても便利です。
特性をカミングアウトするときにユーモアを交えると、話が重くなりすぎず周囲に受け入れてもらいやすい気がする
また失敗や苦手を深刻にとらえられるより、いっそ誰かに笑い飛ばしてもらった方が心が楽になるときだってあります。
そうときだけユーモアの力を借りたらいいし、笑いたい人、笑って心が楽になる人だけが笑えばいいと思います。
一方で「笑えない当事者」に思いを馳せることや、「笑えない自分」を自覚することも大切です。
周囲の理解を得るために発達障害の特性(苦手や失敗)をさらけ出してとにかく笑ってもらおう!
そんなことは、自分を下げてまでする必要はないと私は思います。
特性が人によって違うように、発達障害への向き合い方も人それぞれでいい!
まとめ
今日は「発達障害の特性は笑い飛ばすもの?」というテーマでお話ししました。
深刻になりすぎず、かといって無理に笑い飛ばしすぎず、、、心を大切にしながらバランスよく発達障害と向き合っていけたらなぁと思います。