こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
先日ある人に、「あなたの夫は『障害者』だ」といわれました。そのときに感じたモヤモヤした気持ちを言葉にします。
夫を「障害者」と言われたときの違和感
夫はADHDのグレーゾーンです。不注意による金銭トラブルが多く、そのことで発達障害者支援センターの無料相談を何度か受けています。
先日も、電話相談にて夫のトラブルに関する悩みを聞いてもらいました。そのとき、臨床心理士さんが何度も使っていた言葉が頭から離れません。
「旦那さん『障害者』なんだから」
臨床心理士さんは、夫のことを何度もそう呼びました。私はそこに違和感を覚えました。
「グレーゾーン」は「障害者」なのか
夫はADHDの傾向がありますが、グレーゾーンと診断されました。夫には典型的なADHDに当てはまる部分もあれば、そうでない部分もあります。
夫はADHDであり、同時にADHDではない。
だから周囲から理解されにくいし、本人の最大の苦しみはその「得体の知れない部分」にあるのです。
「夫はADHDのグレーゾーンで…」
そう私がいうと、
「グレーゾーンは立派な診断名。グレーゾーンだって立派な『障害者』なんだから」
臨床心理士さんははっきりといいました。
彼女はきっと、たとえグレーゾーンであっても、困っているときは周囲に堂々と助けを求めてもいいんだよ、それが「発達障害者」としての当然の権利なんだよ、そんなことを口にすることで、私を励ましたかったのだと思います。でも、夫がしきりに「障害者」と呼ばれたことには、やはり違和感がありました。
また、彼女が何度も使った「ADHDは○○だからね」「それは旦那さんには無理よ、だってADHDなんだから」などという言い回しにも、強い反発心を覚えました。
「ADHD」でも「障害者」でもなくて
発達障害は虹のような多様性を持つといわれています。同じADHDであっても、そこにはそれぞれの困り感があり、本来それは「ADHDだから」などという言葉だけで一様に区別することはできません。
もっといえば、人は誰でも多かれ少なかれ発達の凸凹を抱えています(その中で特に困り感が強い人が「発達障害」と呼ばれます)。
夫にはたしかにADHDの傾向があります。でも、私は夫のことを「障害者」だと思ったことはありません。それは夫が「グレーゾーン」だからではありません。仮に夫がADHDと診断されたとしても、きっと私は夫のことを「障害者」とは思わないでしょう。
私にとっての夫は、「ADHD」でも「障害者」でもありません。
夫は、夫。それが本質なのです。
夫が、夫であるということ
電話の向こうの臨床心理士さんは、夫のことをほとんど何も知りません。知っていることといえば、夫にはADHDの傾向があるということと、お金の手続きが苦手だということ、たったそれだけです。
「あなたに夫の何がわかるのか」
「夫を枠に無理やりはめないで」
そんな悲しい気持ちになりました。
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「発達障害」「ADHD」という共通言語を名乗ることで、たとえグレーゾーンであっても、夫の苦しみを周囲に理解してもらえることが増えました。ブログやTwitterで発信して仲間も増えて、孤独ではなくなりました。
でもそれは本質ではありません。
「発達障害」「ADHD」ーそんな言葉に夫をはてはめて語ることは、あくまで社会に理解されるために便宜上行なっていることであり、その言葉で夫の全てを理解したような気になってはならないと考えています。
「夫が、夫であるということ」
それが本質であり、そのことを私自身も見失わないよう強く心に留めておきたいです。
(>_<)