グレーゾーンなわたしたち

【ADHD夫を支える妻】はっさくのブログ。発達障害、HSP、メンタルトレーニング、教育に関するあれこれを発信中!

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ADHDを理解すればするほど等身大の夫がわからなくなる?!~「発達障害バイアス」の話

こんにちは!はっさくです。
 
私たちは発達障害グレーゾーンの凸凹夫婦。夫はADHD、私はASDの傾向が強いです。
 
夫と出会ってから、私は発達障害についてもっと勉強したいと思うようになりました。発達障害を知ることは、夫と理解し合うために避けては通れないことだからです。
 
でも、最近こんなことを感じています。
 
ADHDを知ることで、夫のことをだいぶ理解できるようになった。それなのに、ADHDを理解すればするほど等身大の夫がわからなくなる(>_<)
 
なんだこのジレンマは?!
 
そんな私のモヤモヤを詳しく言葉にしてみます。
 
 

夫のADHDを理解していなかった頃の私

 
夫はADHDの傾向があります。夫と付き合ったのは大学生の頃ですが、当時の夫はこんな感じ。
 
  • 約束を何度もすっぽかす
  • カバンの中がぐちゃぐちゃ
  • レンタルDVDの返却が毎回遅れる
  • 頭はいいのに単位を繰り返し落とす
  • 大学の課題をギリギリまでやらない
  • よく寝る、または全然寝ない
  • 物をよく失くす(財布とか、カバンとか)
  • 気が散りやすい
 
一緒に住むようになってからは、お金のトラブルが目立つようになりました。電気やガスが止まるのは日常茶飯事で、家賃やケータイ代などあらゆる支払いの滞納を繰り返す夫。借金の返済にも追われ苦しい日々が続きました。
 
発達障害を理解していなかった頃の私は、なんでいつも同じミスばかり繰り返すのだろう、なんてだらしのない人なんだろう、なんで私をいつも傷つけるんだろう、と夫のあれこれに腹を立てたり悲しんだりしていました。
 

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私から見える夫のイメージ
しかし、夫に発達障害(ADHD)の傾向があると知ってからは、彼のあれこれを少し理解できるようになりました。
 
夫が何度も同じミスを繰り返すのは、本人のがんばりの問題はなくて、脳の働きによるものなんだ。私を傷つけたいわけじゃなくて、本人も傷つき困ってるんだ…。
 
そう思えるようになったのです。
 

ADHDを理解すればするほど夫のことがわからなくなる?!

 
しかし最近、夫の性質がADHDだけでは説明しきれないことに気づいてきました。
 
例えば夫にはこんなところがあります。
 
  • 人の気持ちがわからない(共感性が低い)
  • 聴覚・嗅覚・視覚などの感覚過敏がある 
  • 言い回しが理屈っぽい
  • 言葉のニュアンスに引っかかる
  • 論理的思考が得意
  • エネルギッシュというより知的な感じ
  • 表面的には明るいが心に深い闇がある
  • 基本的に人を信用していない
  • 人からどう見られるかを常に気にする
  • 人の期待を裏切れない
  • 人から求められる自分を過剰に演じる
  • 自尊心の低さ、見捨てられ不安
・・・etc.
 
これはADHD?ADHDの人ってこんな特徴あったっけ?あれ?あれれ??
 
 

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「発達障害バイアス」はときに発達障害理解の妨げに・・・
 
実は、夫と「典型的なADHD」との間にはかなりのギャップがありました。そしてそのことが、等身大の夫を理解するための妨げになっていたのです。 
 

「発達障害バイアス」は本質を見えにくくさせる

 
先ほどあげた夫の性質は、愛着障害やアダルトチルドレン、ASD、HSP(敏感さん)などの特徴ともいえます。もちろんそこには本人の性格的な要素も関係してくるでしょう。夫のADHD的な注意力散漫さや不注意さも、HSPなどの感覚の過敏性からくるものかもしれません。もっといえば、彼の生きづらさの根幹は注意力散漫や不注意ではなく、愛着形成に関わる部分なのかもしれません。
 
それなのに「夫の生きづらさはADHDからくるものだ」という考えからなかなか抜け出せなかった私。ここだけの話、「夫が典型的なADHDだったら楽なのに」とすら思ったことがあります。
 
このように、何でもかんでも発達障害のせいにしてしまう偏った見方を「発達障害バイアス(夫の場合、ADHDバイアス)」と呼ばせていただきます。
 
この「発達障害(ADHD)バイアス」こそが、夫の本当の生きづらさを見えにくくさせていた原因だったのです。
 

「発達障害バイアス」は人を傷つけることも 

 

「発達障害バイアス」は、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうことがあります。私自身子どもの頃にこんな体験をしました。

 

幼少期の私は、こだわりの強さや独特の言葉のつかい方などが目立ち、集団に全く馴染めない子どもでした。母はそんな私の特性(ASD傾向)にいち早く気づき、発達障害について独自で勉強してくました。

 

母は私の一番の理解者であり味方でもありました。そんな母には感謝の気持ちでいっぱいです。しかし当時の私は、母のある一面を敏感に察知し傷つくことがありました。

 
「また私のことをアスペルガーの枠にはめて理解しようとしているな」
 
母は母なりに私のことを理解してくれようとしてくれていたのでしょうが、母が私を「発達障害の特性に当てはめて見ている」と感じたときに、本当の自分自身が置いてきぼりになっているようで、少し悲しい気持ちになりました。(それでも母は、長年かけて私の本質的な部分も十分理解してくれました^^)
 
大人になった今、私自身も夫に対して同じことをしてしまっているかもなぁ・・・と少し反省しています。
 

「等身大のその人を理解する努力」を怠らないで

 
 「この人は(自分は)発達障害だから」というように、何でもかんでも発達障害に当てはめて考えるのはある意味簡単。自分やその人のことを理解できたような気になります。でもこうした「発達障害バイアス」によって本質を見失うことがあります。
  
これは発達障害に限らず、全てのマイノリティや異文化を理解するときにも重要な視点です。
 
「LGBTだから」「身体障害者だから」「○○人だから」などと、人を型に当てはめて理解しすぎるのはよくありません。差別や偏見はこういうところから生まれるのです。
 

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等身大のその人を見よう
 
「ADHD」を理解することは、夫を理解するための第一歩。
 
でも「ADHD」は、あくまで夫を理解する物差しのひとつにすぎません。
 
だから私は「等身大の夫そのもの」を知る努力を常に怠らないようにしたいです。
 
 おしまい!
 
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