こんばんは、はっさくです(^-^)
一昨日書いた記事の中で、ADHDの夫を受け入れようとするあまり、自分の感情のやり場がなくなってしまった私自身についてお話ししました。
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「夫のADHDに冷静に向き合える妻でありたい」
そう思うあまり、自分の感情を押し殺していたように思います。
今日は私の課題である「自分の感情を肯定する」ことについて、もう少し掘り下げていきます。
感情なんてない方が楽?
「自分の感情を肯定する」と一言で言っても、なかなか難しいことだと思いませんか。
ちょっとASDでHSPな私は、昔から感情の起伏がとても激しい人でした。
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そしてこれは神様のいたずらなのか・・・私の選んだ最愛の人にはADHDの特性がありました。
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夫と一緒になって、彼のADHDが引き起こすハプニングによって感情が大きく動かされることが増えました。
とりわけ数々の金銭トラブルは、今まで感じたことのない大きな不安や恐怖で私の心をぐちゃぐちゃにしました。
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いくつもの支払い期限が差し迫る中、完全にパニック状態に陥る夫の傍らで、「私がしっかりしなければ」と、ぐちゃぐちゃの心のまま泣きながら対処に当たったこともあります。
そんなとき私は、夫に対する激しい怒りや不安で自分を見失い、強い感情に振り回されて夫に辛く当たってしまったり、目の前の課題に冷静に向き合えなかったりしました。
しかし、このように私が感情的になればなるほど、夫のADHDは加速し事態は悪化する一方でした。
私は感情的な自分がつくづく嫌になりました。夫のADHDと向き合おうとしても、激しい感情がそれを邪魔をするのです。
感情なんてない方が楽、そんなことを思うようになりました。
全ての感情は私自身
でも最近は、こんなことを思っています。
そもそも感情に正も負もなく、全ての感情が私自身なのだ。
そしてそのどれが欠けても私が私ではなくなってしまうのだ、と。
このことに関して、先日聞いたNHKのラジオ番組の中で面白い示唆があったので紹介します↓↓↓
テキスト『こころをよむ 心の整えかた トップアスリートならこうする』NHK出版、2020(第2回「自分の感情に気づく」p20ーp34 7月12日(日)放送分)
自分の感情を調整するメンタルトレーニングでは「セルフアウェアネス」=「自分(の感情)に気づく」ことを大切にしています(p20)。ここで重要なのが「不快な感情」や「ネガティブな感情」です。
これらの感情は抑制すべきものと思いがちですが、ネガティブな感情が悪いのではなく、その感情を悪い行動に繋げてしまうことが問題 (p29) であって、感情そのものには良いも悪いもありません。
逆に、今まで気づいていなかった(あるいは蓋をしていた)不快な感情に気づけるようになると、「感情」そのものに意識が向くようになるので、それまではあまり気づくことのなかった快の感情に敏感に気づくことができるようになります(p30)。
ネガティブな感情が鍵になる
そういえば...
自分の起こしたトラブルでパニック状態に陥った夫は、私が少しでもオロオロしたり感情的になったりしたときに、「お願いだから責めないで」「感情的にならないで」と繰り返し懇願してきました。
きっと彼なりの心の防衛策だったのでしょうが、そう言われ続けた私は、「自分のネガティブな感情は夫を乱す悪いもの」であるから、そんなものはない方がいいと、感情を抑制するようになったのかもしれません。
しかしこうしたネガティブなに感情こそ、本当の自分を知る重要な鍵が眠っており、これらをしっかり見つめ直す必要があるのです。
私はADHD夫を支える妻でありたいし、夫のよき理解者でありたいです。
でもときどき、夫のあれこれに不安になったり、腹が立ったり、悲しい気持ちになったりもします。
どれも私自身であり、殺してしまわぬよう大切にしたいです。
おしまい。