こんばんは、はっさくです(^-^)
昨日は少し落ち込んでいて、こんな記事を投稿させていただきました↓gray-zone-family.hatenablog.com
ADHDの夫を何気ない態度で傷つけてしまったことについて、「ADHD夫を支える妻」の自戒の意味を込めて書かせていただいたのですが、予想以上に多くの反響をいただきとっても励まされました(゚´Д`゚)
昨日いただいたあるコメントから自分自身に対する気づきがあったので、今日はそのことについてお話します。
ある方の激励に涙が止まらなかった
昨日の記事に対して、Twitter上でこんな激励をいただきました(一部抜粋)。
はっさくさんこんばんは、突然失礼しました。
— カズマ | Kazuma Suzuki (@_kazuma0221) 2020年9月2日
お金の問題はデリケートですので、書かれることにも勇気が必要だったかと存じます。もちろん旦那さんもお辛いと存じますし、でも苦しさやつらさは人と比べることができませんから「自分の苦しみなんて」と引け目を感じられることはないと私は思います。→
→上から目線のアドバイスみたいで差し出がましいのですが、家族どうし大変なのは相身互いですし、そこに障害者も健常者もありません。ご自分ですべて受け止めようとお考えにならなくてもいいと思います。100点を目指すよりも、不完全をお互いに許しあい補いあえば、それで十分ではないでしょうか。→
— カズマ | Kazuma Suzuki (@_kazuma0221) 2020年9月2日
コメントをくださった カズマ / Kazuma (@_kazuma0221)さんご自身も発達障害当事者のようで、夫のADHDの苦しみに深く共感していただき、それを支える私に対しても温かい言葉をかけてくださいました。
これらを読んだとき、まるで張り詰めていた糸が切れるように涙が止まりませんでした。
感情のやり場をなくした私
夫のADHDが引き起こす数々の金銭トラブルと向き合う中で、私はたくさんの不安な夜を過ごしてきました。「誰か助けて」と何度も何度も思ったし、それはもうたくさん泣きました。
昔の私は、その気持ちを「あなたのせいよ」と言わんばかりに夫にぶつけ、夫の自尊心をボロボロにしてしまいました。でも、私が感情的になればなるほど夫のパニックは加速、事態は悪化する一方でした。
このままではいけないと思い、パニック状態の夫の隣で、私だけは冷静さを取り戻せるよう必死で練習しました。これにより夫の困り感を俯瞰してみられるようになり、夫の苦しみが少しずつ理解できるようになりました。
でも、夫の苦しみを理解すればするほど、今度は自分自身の感情のやり場がなくなっていきました。
「苦しい」って言ってもいいんだ
私は夫の前であまり「苦しい」と言わなくなりました。
「苦しい」
「辛い」
「誰か助けて」
そう感じていているはずなのに、心のどこかでこう思ってしまう自分がいました。
「私も苦しいけど、ADHDの夫はそれ以上に苦しんでいるはずなんだ」
「自分の苦しみなんて」と、夫のそれに対する引け目があったように思います。
でも・・・
本当は、私だって苦しい。
今までだって、今だって、
夫が苦しいのと同じように私だって苦しい。
それでいいんだ。昨日はそう素直に思うことができました。
「自分の気持ちを肯定する」
当たり前だけど、とても大切なことですね。
このことに改めて気づくことができました。
本当に対等な関係とは
発達障害の有無や特性の違いにかかわらず、夫とは常に対等な関係でありたいと思っています。それはつまりこういうことかもしれません。
★「あなたも苦しいけれど、私も同じように苦しい」と伝え合えること
⇒苦しみに大小はなく、どちらの感情も同等に尊重されている状態
★「あなたも間違っていいけれど、私も同じように間違っていい」と思い合えること
⇒1人で100%頑張る必要はなく、持ちつ持たれつで支え合っている状態
どちらかが間違いを責められ続けて自尊心を踏みにじられたり、また、どちらかが感情を押し殺し続けて心がパンパンになったり・・・そういう状態を少しずつなくしていきたいです。
お互い不完全な者同士、間違えながら、傷付き合いながら、それでも励まし支え合って生きていきたいです。
たくさんの気づきをありがとうございました!
おしまい★
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