シリーズ【私と愛着②】愛着について久しぶりの投稿です!
先日妹と話していたら、姉妹の間の決定的な違いを発見しました。
妹と話していると自分との違いにいつも驚かされる。同じ親に育てられたのにこの違い…!持って生まれた性質(特性)と環境と愛着。私の生きづらさの原因がそこに垣間見える。#発達障害 #ASD #HSP #愛着
— はっさく🍊ADHD夫を支える妻 (@grayzone_family) 2020年10月18日
同じ親に育てられたはずなのに・・・
妹にはあって、私にはないもの。
そこから自身の愛着形成の問題を振り返ることとなりました。
※私と愛着①はこちら↓
妹にあって、私にはないもの
妹と私はとても仲のよい姉妹です。
愛着の話をブログに書いたことをきっかけに、自分の愛着形成に関する問題や、母に対する複雑な思いなどを妹に話してみましたが・・・そこで妹と私の決定的な違いを発見しました。
妹にあって、私にはないもの・・・それは、自己肯定感です。妹の話を聞いて、私は今までの人生で「自信を持てたことが一度もない」ということに気づかされました。
自信のない私、自信のある妹
私はどこにいても、何をしていても、どうしようもなく不安で、常に何かにビクビクしています。
幼い頃から、表向きには何でも意欲的にこなしているように見られがちでしたが・・・本当は何をやっても達成感や充実感がなく、常に満たされませんでした。人からどれだけ賞賛されようと、いつも何かが足りない気がしてしまい、そんな自分に自信が持てずにきたのです。
反対に妹は、コミュニケーションの苦手やトラウマがあるにせよ、そんな自分が大好きだといいます。妹は、人から何をいわれようと、何があろうと、底知れぬ自信を持っているのです。
「どうして?姉は何でもできて、完璧で、私はいつもうらやましかったのに」
そう妹は首をかしげました。どうしてなんだろう・・・。
自信のない私と、自信のある妹。
これは単に性格の違いだけではないと感じました。
母に対する思いも違う
妹と私は、母に対する思いも全く違いました。
私は母に対する「見捨てられ不安」が強いのですが・・・
・・・私は母と意見が食い違うと(ちょっとでも否定的なニュアンスのことを言われると)、私の何かを否定されたような気がしてとてつもなく不安になります・・・
それはただの不安ではなくて、むしろ恐怖に近い感情。
大切なものに見捨てられたような、言い様もない恐怖です。
これは、私がまだ母と自分を切り離せていない証拠です。
私は今でも、母に無条件に認められたいのだと思います。
妹は母に対して私のような感情を抱くことはないといいます。
妹は現在、母と一緒にいる時間が私よりも長いです。私よりも母との距離が近いにもかかわらず、彼女の方が「母は母、自分は自分」と両者を切り分けて考えることができていると感じました。
「親からの精神的な自立」と物理的距離は、必ずしも比例しないようです。
環境の違いが生んだ愛着と自己肯定感の差
妹と私の違いを生んだ原因は何だったのか。
生まれ持った性格や特性の違いはもちろんありますが・・・それだけではないでしょう。ひとついえるのは、妹と私は幼少期に育ってきた環境が全く違うということです。
妹が生まれる前、両親は共働きで、それも尋常じゃない働き方でした。2人とも夜勤で、夫婦仲もいいとはいえず・・・幼少期の私はとても不安定な家庭環境で育ってきました。
私がASD特性を持った敏感で扱いにくい子どもだったこともあり、私にとって母は、とても厳しい人でした(母もいろいろ葛藤があったのだろうと思います)。
私は保育所でも、祖母の家でも、母にも、いつも怒られてばかりでした。
両親が夜勤の中、祖母の家に寝泊まりする日々。
私は自分の家がどこにあるのかわからなくなりました。
自分が自分でいられる場所が、どこなのかわらかなくなりました。
自分が一番甘えられる人が、誰なのかわからなくなりました。
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同じ姉妹でも、育ってきた環境の違いで愛着形成は異なります。
私の心には、妹にはない穴がぽっかり開いていると感じます。
この穴を埋めないと、私は先へ進めないのです。
気づきをくれた妹にはとても感謝しています。
※私と愛着③はこちら↓