こんにちは。はっさくです。
実は最近、かなりショックな出来事がありました。
父に末期ガンが見つかりました。
ショックで頭が真っ白になって、恐怖と不安で押しつぶされそうな毎日です。
皆さんはつらい出来事があったとき、どのようにそれを受け入れますか。
ひたすらに否定する、自分を責める、誰かにすがる、なかったことにしてしまう・・・
どれも心にとっていい状態ではありませんよね。
恐怖と不安と絶望の渦の中、ひとまず私がたどり着いた答えはこうです。
目の前の現実の、「原因」ではなく「意味」は何なのか。
そのことをひたすら考え続けるのです。
つらい現実と共存しつつメンタルを守るためには、これが最適な方法だと考えています。
1.父に末期ガンが見つかった
先週、父に末期ガンが見つかりました。
腎臓ガンのステージⅣ。
父は医者なので、なんと自分のガンを自分で発見しました。
父のガンはかなりレアケースの転移をしていて、担当医もなかなかガンだと気づかなかったそうです。
父は自分の全身のCT画像の中から、ものすごいスピードでそれを発見しました。
さすが父。
でも、そのときの父のショックを想像するだけで、本当につらいです。
父は現在、絶望に押しつぶされそうになりながらも、仲間に頼りながら治療方針を固めているところです。
2.頭が真っ白になった
父のガンを知ったとき、ショックで頭が真っ白になりました。
ついこの前、父から「元気?」と電話があって、他愛のないおしゃべりをしたばっかりなのに・・・
そんなはずはない、父に限ってガンなはずはない、お願いだから誰かウソだと言ってくれ、と。
堂々巡りの不安を解消しようと、私はすぐに情報収集を始めました。
病の原因や、治療法、薬の副作用、予後の過ごし方、最高の事態と最悪の事態、万が一のときに備えるべきこと・・・
とにかく不安な現実を徹底的に分析しまくり、行動の指針をつくる。
今までそうやって、数々の不安を乗り越えてきました。
夫の発達障害のことや、大きな金銭トラブルのときも、そうやって冷静に対処してきました。
でも今回は、それだけでは到底太刀打ちできそうもありませんでした。
情報を集めれば集めるほど、恐怖や不安の渦は大きくなる一方で・・・
何を信じて、どんな気持ちで父に向き合えばいいのか、どんどんわからなくなりました。
情報収集と分析を重ね、原因と結果で導き出される因果法則をたどること。
それは、漠然とした不安を解消するために、「ある一定は」効果を発揮することでしょう。
でも、このとてつもない不安や恐怖や絶望感は、そんな小手先のことでは絶対に埋まらない・・・そんなことを強く感じました。
3.私を救った言葉
そんなとき、ある言葉がふと目に飛び込んできました。
それは、ガン患者や家族の心のあり方について書かれた言葉のひとつでした。
”ガンになった「原因」を探すのではなく、「意味」を考えてみる”
ガンについて詳しく書かれた難しい論文や、数多ある「確かな」情報の中で、ただひとつ、私の心にストンと落ちた言葉です。
「原因」ではなく、「意味」を考える。
目の前の出来事にひたすら「意味づけ」をして、ひとつずつ心に落としていく。
これはガンに限らず、あらゆる不安や恐怖、絶望と共存する(←「打ち勝つ」とはちょっと違います)ためのヒントとなると感じました。
私たちの身の回りに起こる出来事、それ自体にはよいも悪いもありません。
もっと言えば、人生において、「原因」と「結果」という明確な因果法則がある出来事など、ほとんど存在しません。
それでも人は、ある出来事を受けてショックや不安を感じ、絶望的な気持ちになったりするし、その原因を探っては自分を責めたりします。
「あのときのアレがよくなかったのではないか」
「あのときもっとこうしていれば・・・」
こうした思考を重ねていくことで、私は父との、大切な「今」が見えなくなってしまうことが怖い。
「父がガンになった原因」ではなく、「父がガンになった意味」は何か。
父にとって、私にとって、私たち家族にとって、父の病はどんな意味を持つものなのか。
もちろん父の病には、本来はなんの意味もないのですが、そこに私なりに、確かな意味づけをしてきたいと思っています。
そのことが、つらい出来事を受け入れ、乗り越える(=共存する)ための近道だと考えています。
もちろん、その過程で湧き出る感情は全て、かけがえのない自分自身の感情として大切にするつもりです。
4.まとめ
今日は、父のガン宣告を受けた話をきっかけに、つらい出来事と共存するための方法について考えてみました。
正直、まだまだ気持ちの整理ができません。
でも、今後時間をかけて、父の病が私たちに与えるメッセージは何なのか、その意味とじっくり向き合っていきたいです。