グレーゾーンなわたしたち

【ADHD夫を支える妻】はっさくのブログ。発達障害、HSP、メンタルトレーニング、教育に関するあれこれを発信中!

グレーゾーンなわたしたち

私と愛着⑪〜あの日の母と対峙する

f:id:gray-zone-family:20210812230644j:plain

こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。

ちょっとASDでHSPな私の心の闇を語るシリーズ【私と愛着】第11回。

今日のテーマは「あの日の母と対峙する」です。

※私と愛着⑩はこちら↓

 

1.育児がつらいと感じる瞬間

先日、ワンオペ育児に疲れた私は、息子を連れて実家に帰省。

そのまましばらく実家に滞在することとなりました。

「育児がつらい」

そう感じる瞬間はたくさんあります。

例えば、息子と2人で未知の場面に遭遇したとき、

母親として1人で決断しなければならないとき、

激しい癇癪を1人で受け止めなければならないとき、

私しかいない、私がしっかりしなければ、と思うとき・・・

そして、息子の泣き声を聞いたとき、なぜか胸をえぐられるような心境になるのです。

息子は、幼い頃の私の姿。

私は、小さな自分に向き合うのが怖い。

息子に私みたいな思いをさせてしまうのが怖いです。

完璧な親なんていないのに、「息子の全てを何がなんでも受け止めなければ」と焦る気持ちがあります。

私と愛着④~幼い息子に突きつけられるものより)

それは、「私の全てを母に受け止めてほしかった(現実にはそれが叶わなかった)」気持ちの裏返しなのだと思います。

2.湧き上がってきた母への感情

話を戻します。

帰省中に息子が大癇癪を起こす場面がありました。

癇癪は1時間以上経ってもおさまらず、私はヘトヘト。

そのとき事件は起こります。

それまで一緒に息子をあやしてくれていた母が、なぜか突然、手のひらを返したようにこう言ったのです。

「もういい加減・・・あなたが抱っこすれば済む話でしょ。○○君(息子)はあなたを求めているのよ

この一言で、母との関係を保っていた糸がプツンと切れたような気がして・・・

次の瞬間、私は母に向かって泣きながら怒鳴っていました。

「私だって、いつもあなたを求めていたのに!」

「あなただって、私を抱き上げてくれなかったくせに!」

「私の感情なんて誰も受け止めてくれなかったくせに!」

f:id:gray-zone-family:20210812224617j:plain

その言葉は、母にだけは言われたくなかった

つらかった幼少期の記憶のフラッシュバック―

幼き日の私は、いつも母を求めていました。

でも、癇癪を起こすことでしかそれを表現できませんでした。

母の顔色を気にして、大人になるまであの頃の感情を封印してきました。

息子を抱き上げながら、私の心は幼き日の自分に戻り・・・

あの日言えなかった言葉を、ひたすら母にぶつけました。

母の顔色を気にせず、母に対する気持ちをストレートに表現したのは初めてでした。

f:id:gray-zone-family:20210812225133j:plain

言い合いも収束した頃、母は静かに「ごめんね」と謝った

3.あの日の母と対峙する

母とのことは一瞬の出来事でした。

でも、互いに本音をぶつけ合ったせいか、憑き物が取れたようにスッキリしました。

あのときなぜ母が、手のひらを返すように私に冷たい態度をとったのか。

母は、泣き叫ぶ孫の姿に「幼き日の娘」を、母となった娘がオロオロする姿に「あの日の自分自身」を重ね合わせたと言います。

「ああいう場面は見ていられない。あの日の自分やあなたを思い出すようで」

母は涙ながらにそう言いました。

私は母に共感しつつも、母や自分自身に言い聞かせるようにこう言いました。

「私と息子を重ねないでほしい。私とあなたも重ねないでほしい。私たちはそれぞれ別人格なんだから」

私は昔からずっと、私の影に隠れた「あなた」ではなく、私自身を見てほしかったのだと。

f:id:gray-zone-family:20210812224611j:plain

あなたは私に、私は息子に向き合うべきなんだ

あの日の母と対峙した日、私は同時に「幼き日の自分」と我が子、そして「母としての自分自身」と対峙することとなりました。

f:id:gray-zone-family:20210616060759j:plain
はっさく

少しずつ、過去の呪縛から逃れていきたいな

感情を発散させるきっかけを与えてくれた息子には、感謝しています。

P.S.息子へ。お母ちゃん、取り乱してしまってビックリさせてごめんね(>_<)

 

※シリーズ「私と愛着」を①から読む↓