こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
ちょっとASDでHSPな私の心の闇を語るシリーズ【私と愛着】第11回。
今日のテーマは「あの日の母と対峙する」です。
※私と愛着⑩はこちら↓
1.育児がつらいと感じる瞬間
先日、ワンオペ育児に疲れた私は、息子を連れて実家に帰省。
そのまましばらく実家に滞在することとなりました。
「育児がつらい」
そう感じる瞬間はたくさんあります。
例えば、息子と2人で未知の場面に遭遇したとき、
母親として1人で決断しなければならないとき、
激しい癇癪を1人で受け止めなければならないとき、
私しかいない、私がしっかりしなければ、と思うとき・・・
そして、息子の泣き声を聞いたとき、なぜか胸をえぐられるような心境になるのです。
息子は、幼い頃の私の姿。
私は、小さな自分に向き合うのが怖い。
息子に私みたいな思いをさせてしまうのが怖いです。
完璧な親なんていないのに、「息子の全てを何がなんでも受け止めなければ」と焦る気持ちがあります。
それは、「私の全てを母に受け止めてほしかった(現実にはそれが叶わなかった)」気持ちの裏返しなのだと思います。
2.湧き上がってきた母への感情
話を戻します。
帰省中に息子が大癇癪を起こす場面がありました。
癇癪は1時間以上経ってもおさまらず、私はヘトヘト。
そのとき事件は起こります。
それまで一緒に息子をあやしてくれていた母が、なぜか突然、手のひらを返したようにこう言ったのです。
「もういい加減・・・あなたが抱っこすれば済む話でしょ。○○君(息子)はあなたを求めているのよ」
この一言で、母との関係を保っていた糸がプツンと切れたような気がして・・・
次の瞬間、私は母に向かって泣きながら怒鳴っていました。
「私だって、いつもあなたを求めていたのに!」
「あなただって、私を抱き上げてくれなかったくせに!」
「私の感情なんて誰も受け止めてくれなかったくせに!」
つらかった幼少期の記憶のフラッシュバック―
幼き日の私は、いつも母を求めていました。
でも、癇癪を起こすことでしかそれを表現できませんでした。
母の顔色を気にして、大人になるまであの頃の感情を封印してきました。
息子を抱き上げながら、私の心は幼き日の自分に戻り・・・
あの日言えなかった言葉を、ひたすら母にぶつけました。
母の顔色を気にせず、母に対する気持ちをストレートに表現したのは初めてでした。
3.あの日の母と対峙する
母とのことは一瞬の出来事でした。
でも、互いに本音をぶつけ合ったせいか、憑き物が取れたようにスッキリしました。
あのときなぜ母が、手のひらを返すように私に冷たい態度をとったのか。
母は、泣き叫ぶ孫の姿に「幼き日の娘」を、母となった娘がオロオロする姿に「あの日の自分自身」を重ね合わせたと言います。
「ああいう場面は見ていられない。あの日の自分やあなたを思い出すようで」
母は涙ながらにそう言いました。
私は母に共感しつつも、母や自分自身に言い聞かせるようにこう言いました。
「私と息子を重ねないでほしい。私とあなたも重ねないでほしい。私たちはそれぞれ別人格なんだから」
私は昔からずっと、私の影に隠れた「あなた」ではなく、私自身を見てほしかったのだと。
あの日の母と対峙した日、私は同時に「幼き日の自分」と我が子、そして「母としての自分自身」と対峙することとなりました。
少しずつ、過去の呪縛から逃れていきたいな
感情を発散させるきっかけを与えてくれた息子には、感謝しています。
P.S.息子へ。お母ちゃん、取り乱してしまってビックリさせてごめんね(>_<)
※シリーズ「私と愛着」を①から読む↓