こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
ちょっとASDでHSPな私の心の闇を語るシリーズ【私と愛着】第10回。
今日のテーマは、「母と子の境界線を適正に保つ」です。
※私と愛着⑨はこちら↓
1.「見捨てられ不安」を母に打ち明けたら・・・
私には昔から、母に対する強い「見捨てられ不安」があります。
私は母と意見が食い違うと(ちょっとでも否定的なニュアンスのことを言われると)、私の何かを否定されたような気がしてとてつもなく不安になります。
・・・それはただの不安ではなくて、むしろ恐怖に近い感情。
大切なものに見捨てられたような、言い様もない恐怖です。
(幼い私と愛着の話①より)
幼少期はもちろん、大人になった今でも「母に否定されたくない」と思ってしまう自分がいます。
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先日、ひょんなことから、母にその気持ちを打ち明けることとなりました。
そのときの母の反応は、意外なものでした。
2.「自分の境界線がわからない」のは母の方だった
「あなたのその一言で、私の足元はいつも揺らぐ。それがつらい」
先日、母にそう打ち明けたとき、母は目を丸くしてこう言いました。
「いつも私の話を強く突っぱねるあなたが、そんな気持ちになっていたなんて思いもしなかった」
そう、私はいつも、形としては母を「強く突っぱねる」。
そうすることで、私は自分を守ってきたのです。
私は続けました。
「私はあなた(母)との境界線が時々わからなくなる」
その言葉を受けたときの母の反応は、とても意外なものでした。
「実は、私もあなた(娘)との境界線が時々わからなくなっていた」
娘と自分を同化し、境界線がわからなくなっていた母。
そのことを、母の口から初めて聞きました。
3.母と子の境界線は曖昧になりやすい
人と人との間には、心地よい関係を保つための境界線(バウンダリー)が存在します。
境界線を適正に保つーつまり相手の境界線をむやみに踏み越えない(相手にも踏み越えさせない)ということは、心地のよい人間関係の基本です。
片方が片方の境界線を踏み越えてしまったとき、相手との境界線が曖昧になり、人間関係は重く苦しいものとなります(=バウンダリー・オーバー)。
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親子関係、特に母と子の関係は、距離が近いからこそ境界線が曖昧になりがちです。
そして、その状態に気づくことすらなかなか難しいというのが現実です。
4.母と子の境界線を適正に保つ
母と私の親子関係に話を戻します。
母はものすごくHSP気質な人で、昔から境界線が曖昧になりがちだったと言います。
娘との関係に限らず、夫、両親、友人、同僚・・・常に誰かの感情に寄り添い、同化することで生きてきた母。
「相手の感情を自分自身の感情であるかのように錯覚することがあった」
「最近になるまで自分という人間がわからなかった」
未熟な愛着形成と、曖昧な境界線の上に成り立つ共依存関係。
だからこそ、私たち親子の関係は苦しかったのだと知りました。
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そんな母は、ここ数年で少しずつ「自分軸」を戻すべく奮闘しているそうです。
母と子の境界線を適正に保ち、共依存を断ち切るー
母の気づきをきっかけに、私たち親子の関係は確実に変化する。
母が私を切り離してくれるように、私も母の一言に過剰に一喜一憂せず、あくまで母という「一個人の意見」として尊重できる日がくるかもしれない。
母と話しながら、そんなことを強く感じました。
4.まとめ
今日は、【母と子の境界線を適正に保つ】をテーマにお話ししました。
境界線が曖昧な親子関係は、親にとっても、子にとっても苦しい。
そう身を持って感じています。
「苦しいな」
そんな気持ちに気づいたときからでも遅くはありません。
人と人との間の境界線は、何度も引き直すことができるのです。
距離が近い親子だからこそ、「境界線を適正に保つ」ことを意識し続けたいです。
※シリーズ「私と愛着」をはじめから読む↓