こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
ちょっとASDでHSPな私の心の闇を語るシリーズ【私と愛着】第9回。
今日は「完璧な母でなければならない」という呪縛について考えます。
※私と愛着⑧はこちら↓
1.「完璧な母でなければならない」という呪縛
「完璧な母でなければならない」ーこの呪縛は母にとっての子育てを、そして親子関係を重く苦しいものにします。
母自身がその呪縛から逃れたとき、また私自身が母のそれに気づいたとき、私と母は初めて対等な関係になれた気がします。
気づいたときには、私はもう大人になっていて・・・随分時間がかかってしまったな
私が母親になってからというもの、自らの幼少期の親子関係について振り返ることが多くなりました。
とりわけ母との関係は、私に多くの気づきをくれます。母についての最も大きな気づきは、大人になって知る母の姿が、子どもの頃の印象と全く違うということです。
幼少期の母は、いつも怖くて正しくて・・・母のいうことは絶対で、私は母にはかなわない、間違っているのはいつも自分だ、そんなことを子どもながらに感じていました。
そんな母も「完璧な人間ではない」と知ることができたのは、私にとっては大きな救いとなりました。
大人になってから見えた真実は、母が思った以上に小さくて可愛らしい人だったこと、また、私が思う以上にたくさんの「苦手」を抱えた不完全な存在だったこと・・・そして、育児に対する不安を抱えながらも一生懸命私を育ててくれたということでした。
後から聞くと、あの頃の母は「完璧な母でなければならない」という呪縛にひたすら苦しんでいたそうです。
それは今の私の姿に重なるものがあり・・・当時の母を想うと胸が苦しくなります。
でも、母には悪いけど、子どもの本音としてはこうです。
母が私と同じ「不完全な人間」だとわかったときは、嬉しくて肩の力がフワッと抜けたような思いがしたんだ。お母さんも私と一緒だったんだな~って安心したんだよ。
2.親の「苦手」を包み隠さず子どもに伝える
子どもというのは、「気を張った親の姿」「親らしい親の姿」を必ずしも望んでいるとは限りません。
子どもからしたら、親の苦手がちょっと垣間見えるくらいがむしろ安心する・・・私が幼少期の体験から感じているのはこんなことです。
例えば私の敏感な耳が息子の癇癪に絶えきれず、理不尽に息子を叱ってしまったとき・・・
ゴメンね、これはあなたのせいじゃなくて、お母さんの耳のせいなんだ。あなたは何も悪くないよ。
そうサラッと伝えられる私であること。
息子にはそうやって、私の「苦手」を包み隠さず伝えていきたいと考えています。
3.まとめ
今日は、シリーズ【私と愛着】第10回目、「完璧な母でなければならない」という呪縛についてお話ししました。
たくさんの「苦手」を抱えた私が母でもいい!
母として「完璧であろう」と見栄を張らず、等身大の自分を子どもに伝えていきたいし、それが子どものためにもなると思っています。
(^^)/
※私と愛着⑩はこちら↓