こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
ブログ【グレーゾーンなわたしたち】は、前回の更新で100記事目という節目を迎えました!
昨日の記事の中で、今後の新たな方向性について触れました。今後はグレーゾーンな家族の日々とともに、以下のような内容をゆるっと発信していきます。
- 発達障害(グレーゾーン含む)の体験談・豆知識・ライフハック
- 発達障害者を支える家族・支援者のリアル
- HSP(人一倍敏感な人)
- HSC(敏感っ子)育児
- 愛着障害
- メンタル
- 障害者・マイノリティ
- 教育現場と「グレーゾーンな子どもたち」NEW!
変更点は『8.教育現場と「グレーゾーンな子どもたち」』を加えたことです。
- 教室の「中心」から「周辺」に追いやられた子どもたち
- 「普通」という枠からはみ出た子どもたち
- 白にも黒にもなりきれない「グレーゾーン」な子どもたち
目立たずひっそりと、でも確かにそこに存在する子どもたち。
彼らのことを知ってほしい。
彼らに光を当てたい。
これは元教師はっさくの新たな挑戦です。
「教師」になりきれなかった教師
私は元小学校教諭です。そんな私は幼少期から集団に馴染みにくく「普通とは違う自分」に悩み続けてきました。
「学校なんて大嫌い」、そんな思いはいつしか「学校を変えたい」に変わり、私は教師になりました。
ところが教師になってからも、学校や社会の「当たり前」や「普通」に対する「なぜ?」は止まりませんでした。
ひとつひとつに立ち止まってはぐるぐる悩み続け、最後は「教師である自分」と「本当の自分」との折り合いがつかなくなり、苦しみ抜いた末に教壇を降りる決意をしました。
「普通って何?」
「当たり前って何?」
アウトサイダーな教師として葛藤していた日々のことや、苦しくて、悔しくて、封印していた記憶の中の子どもたちのことを思い返し、そこから得た学びを少しずつ言葉にしていきたいです。
教室の「周辺」の子どもたちに見いだすもの
学校は社会の縮図です。社会には「中心」と「周辺」があるように、教室にも見えない「中心」と「周辺」があります。
発達障害、問題行動、学級崩壊、校内暴力、不登校、虐待・・・様々な理由で教室の「中心」から「周辺」に追いやられてしまった子どもたち。「普通」という枠からはみ出た子どもたち。白でも黒でもない「グレーゾーン」な子どもたち。
私はそこに、幼い頃の自分を、「教師」になりきれない本当の自分の姿を見た気がしたのです。
教室の「周辺」にいるこうした子どもたちの中に、夫や私をはじめ「グレーゾーンなわたしたち」を理解するヒントが隠されていると感じます。
教師時代だけでなく、学習塾への勤務経験や不登校支援に携わった経験、また自身の幼少期の教育体験も織りまぜ、教育現場で「周辺」に追いやられてしまった子どもたちや自分自身について表現していきたいと考えています。
その先にある夢
子ども時代と教師時代、2度の「学校への敗北」を経験した私にとっては、上の作業は決して簡単なものではなく、とても時間のかかる作業となるでしょう。閉じた傷口を再び開くような苦しい体験となるかもしれません。
それでも私は、そんな過去を表現したいと強く思います。
私には夢があります。
私の夢は、教室の「周辺」に追いやられてしまった子どもたちの居場所をつくることです。
長くなってしまうので詳しくは述べませんが、そういった子どもたちの傷ついた心を癒しつつ、自分自身の心も癒したいと考えています。
教育現場の「グレーゾーンな子どもたち」を語ること―
ゆっくりじっくり、これまで考えてきたことや、今考えていることなどを、私らしい言葉で表現していけたらと思います。
【ADHD夫を支える妻】とは違う側面を少しずつ出していくことになりますが、気の向いたときに読んでくださると嬉しいです(^^)/
おしまい☆
◆シリーズ「教育現場のグレーゾーンな子どもたち」◆