グレーゾーンなわたしたち

【ADHD夫を支える妻】はっさくのブログ。発達障害、HSP、メンタルトレーニング、教育に関するあれこれを発信中!

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発達障害は免罪符ではないのに

こんにちは~!はっさくです(^-^)
 
先日、【障害を嫌い、障害にすがる】という記事の中で、夫のこんな複雑な心境について述べました。
 
ADHDである自分も嫌だけど、ADHDでない自分も嫌だ。
 
 
夫にとってADHDは、得体の知れない生きづらさのひとつのはけ口となっているようなのですが・・・
 
読者の方からいただいたあるコメントをきっかけに、いろいろ考えさせられたので、忘れないうちにメモしておきますφ(.. )

発達障害は免罪符ではないのに

先日、先ほどの記事にこんなコメントをいただきました。
 
ADHDは免罪符ではないんだけどなぁ。
 
「ADHDは免罪符ではない」・・・
そうそう、そうなんだよね((('-')(._.)('-'))コクコク
 
ADHDはじめ、発達障害はたしかに免罪符ではありません。
 

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発達障害だからといって全てが許されるわけじゃないはず・・・
 
診断名はあくまで「便宜上付けられた名前」であり、それがあろうがなかろうが“自分という存在そのもの”は何も変わらないはず。
 
なのにどうして…
 

「診断を受けてホッとする」人たち

夫に限らず、Twitterなどで見かける発達障害当事者の中には「障害と診断されてショックだけどホッとした」「診断がほしくて病院をハシゴした」という人が少なからず存在します。
 
姫野桂さんは『発達障害グレーゾーン』(扶桑社、2019)の中で、「障害」と「普通」の狭間いる当事者のリアルな声を紹介しています。
 
「いっそのこと、発達障害の診断がおりてしまえば『障害のせいで、できないんだ』と、ある意味開き直れて楽になる」と発言した男性がいた。病院を3軒も渡り歩いてようやく診断がおりたという、会社員の太一さん(仮名・40歳)だ。・・・(p45)
 
「診断がおりたときはホッとしました。もしここでも『あなたの努力不足です』といわれてしまっていたら、自分が信じられなくなっていたと思います。・・・」(p114)
 
ちなみに夫も、心療内科で「ADHDの傾向があります」といわれただけの、いわゆる発達障害グレーゾーン。
 
夫は上の例のように、診断名がつくまで病院をハシゴするなどはしていません。
 
そんな夫でも、困り感に直面する度に、「ADHDの傾向がある」という医師の言葉がほんの少しの心の支えとなっているのです。 
 
 

「生身の自分」で特性と向き合えるほど人は強くない

「発達障害」が多くの人にとって免罪符となっている事実。
 
それは、診断も何もない「生身の自分」で自己の障害特性と向き合うことがいかに孤独で苦しいことなのか、そのことを如実に表していると感じます。
 
夫も含め、人って本来そんなに強くないですもんね・・・。
(強くある必要もないんですけどね^_^;)
  

発達障害を免罪符にしなくてもすむような社会に

発達障害を免罪符にしなくてもすむような社会。
 
自分が発達障害かどうかなんて、診断書1枚出るか出ないかなんて、そんなことはどうでもよくなる社会。
 
全ての人がありのままの自分でいられて、生身の自分に自信を持って生きることのできる社会。
 
そんな社会が実現することを切に願っています。
 
おしまい(*´`)
 
追伸)
気づきを与えてくださった
こばと (id:kobatokoba)さん、本当にありがとうございました!