こんにちは!はっさくです。
今日のテーマはASDと解離性障害。
思春期の頃の私は「私が私でなくなる感覚」を頻繁に感じていました。それは、私から私の感覚だけが薄くはがれて遠くにいってしまい、戻らなくなる感じ。
大人になって、その感覚が解離性障害の症状によく似ていていることを知りました。ASD(特にアスペルガーの)と解離性障害は関係が深いのです。
解離性障害って何?
解離性障害とは、自分が自分であるという感覚が失われる障害です。
本来は1つにまとまっているはずの記憶や意識、知覚やアイデンティティ(自我同一性)ですが、それらをまとめる能力が一時的に失われることで、「自分が自分でないような感覚」に陥ってしまいます。
例えば、過去の記憶がすっぽり抜け落ちる、まるでカプセルの中にいるような感覚がして現実感がない、感情が麻痺するといった具合です。
これらの現象は、もともと人間の脳に備わっている「解離」によって引き起こされます。
解離とは様々なストレスから脳を守る防衛本能で、それ自体は普通の人にも起こります。例えば以下のようなことも解離の一種です。
- 授業中に空想にふけっていて先生の話を覚えていない。
- 自転車のペダルを意識しなくても漕ぐことができる。
- 悲しい出来事を一時的に忘れて、楽しい出来事を考えることができた。
解離が深刻になり、日常生活に支障をきたすような状態を解離性障害といいます。
例えば、ストレスで記憶がすっぽり抜け落ちる「解離性健忘」、自分を見下ろす自分がいるなど、自分の体験していることに現実感が持てない「離人症」、1人の人間の中に複数の人格が存在する「解離性同一性障害(多重人格障害)」などがあります。
※解離性障害について詳しく知りたい方は、ページ末にリンクを載せていますので、そちらをご覧ください。
解離性障害とASD
解離性障害の原因はストレスや心的外傷といわれています。
しかし近年、解離性障害とASD(特にアスペルガー)との関係が指摘されています。ASDの人は、解離性障害になりやすいと考えられているのです。理由は以下のようなことが考えられます*1。
- コミュニケーションの困難などから疎外感を感じやすい。
- 社会へ過剰適応しようとするため、ストレスがかかりやすい。
- 脳の過敏性→情報過多から脳を守る働きとして解離が起こる。
- こだわりが強く対象に没頭しやすい。←まさに「我を忘れる」というやつですね。
思い返せば、ASD傾向がある私も、コミュニケーションで最もしんどかった思春期に、離人症に近いような解離が頻繁に起こっていました。
私の体験談~私が「はがれる」とき
高校生のときの私は、学校に行くのがとてもしんどくて、どこにいても、何をしていても、「自分が自分でないような感覚」を抱えていました。
そこには、ASD由来のコミュニケーションの難しさや、感覚の鋭さ、思春期の心の不安定さなどが複雑に関係したことでしょう。
ある日、その「自分が自分でないような感覚」が現実のものとなってしまいます。
ある日の授業中…
その日は、体が鉛のように重く、学校に行きたくありませんでした。私は家から出た後、駅のホームでぼーっと時間をやり過ごし、そのまま遅刻しました。
授業中。グラッと世界が揺れたかと思うと、感覚が遠くなっていきました。
自分の体を俯瞰して見ている感じ。
自分から感覚だけが薄くはがれていく感じ。
それはとても不思議な感覚で、世の中がまるで薄いっぺらいセルでできているみたいなのです。そのセルの一つ一つにいる全ての私が「私」であり、「私」ではありません。「今ここにいるはずの私」に実感が持てず、本当の私がどこにいるのか見当がつかなくなってしまったのです。
この世界にはパラレルワールドがある、そう思いました。その日は授業どころではありませんでした。
私は、この現象を「はがれる」と呼ぶことにしました。
はじめのうちは「はがれて」も一瞬だけで、意識すればすぐに自分に戻れていました。しかしそのうち、意識してもなかなか自分に戻ってこられなくなってしまったのです。
どんなときに「はがれる」か
それは突然やってきます。
例えば授業中、登下校中、お弁当を食べているとき、友達と話しているときもおかまいなしです。
ちなみに会話中に「はがれる」と、自分の声が遠く自分のものではないみたいに聞こえます。
特に多かったのは、学校からの帰り道、電車の窓からぼーっと景色を眺めているときです。
この現象は私が内向的になっているときに起こるようで、部活動(当時はバリバリのスポーツ少女でした)で体を動かすことに集中しているときは、ほとんど起きませんでした。
足の動かし方がわからない?!
あるとき、学校からの帰り道にいつものように歩いていると、ふいに足の動かし方がわからなくなりました・・・!足の感覚が遠くなり、自分のものではないみたいで、うまく歩けなくなってしまったのです。
そのとき私は、「私が本格的に私でなくなってしまった」と思いました。
なんとか帰宅したものの感覚が戻らず、怖くなって母に話したら、母はこう言いました。
「そういうときは体をさすってあげな。私よ、戻ってこーいって。」
それ以来、「はがれた」ときは、感覚が遠くなったところを意識的にさするようになりました。すると徐々に身体感覚を取り戻せるようになり、長時間「はがれる」ということはなくなりました。
あの頃を思い出すと
当時の私は、「はがれる」ことそのものよりも、集団からの疎外感や息苦しさの方が辛くて、そこから逃れたくてなりませんでした。本当の自分が息をしていないような気がして、自分がこの世から消えてしまいそうで怖かったです。
当時を思い出すたび、私が「はがれた」ままにならず、ちゃんとここに戻ってきてくれて、存在し続けてくれてよかった、と安心します。
あの頃の私があるからこそ、今の私があるのですね。
おしまい!
【参考】解離性障害について詳しく知りたい方はこちら↓
*1:芝山雅俊氏はASDの人の解離性障害と一般の人それとは異なる傾向があるとした上で、前者を「解離型自閉症スペクトラム障害(解離型ASD)」と呼んでいます。(芝山 雅俊 著「解離の舞台ー症状構造と治療」金剛出版、2017)