グレーゾーンなわたしたち

【ADHD夫を支える妻】はっさくのブログ。発達障害、HSP、メンタルトレーニング、教育に関するあれこれを発信中!

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救済?それとも分断?カサンドラの功罪を考える

こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。

バタバタしている間に、新しい年を迎えてしまいました。

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あけましておめでとうございます!

今年も【ADHD夫を支える妻】として、発達凸凹を抱えた当事者の1人として、夫のADHDやグレーゾーンな家族の日々をゆるっと発信し続けます。

よろしくお願いいたします!

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さて、今日はカサンドラについて考えます。

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カサンドラとは、発達障害当事者を支える周囲の人(パートナーなど)が、当事者との関わりの中で心を病んでしまう状態をいいます。

カサンドラという言葉は、当事者との関係に苦しむ人々の存在を浮き彫りにし、孤独から救済してきました。

同時にカサンドラは、多くの不必要な分断と、過剰なまでのディスコミュニケーションを生むこととなりました。

今日は【カサンドラの功罪】について考察します。

 

カサンドラとは

カサンドラ(カサンドラ症候群)とは、発達障害当事者を支える周囲の人(パートナーなど)が、当事者との関わりの中で心を病んでしまう状態をいいます。

カサンドラという言葉は、ギリシア神話に登場するトロイの王女の名前にちなんだものです。

未来予知の能力がありながらその言葉を誰にも信じてもらえないカサンドラ王女の境遇にちなんで、「身近な人間関係で抱える不条理を社会からなかなか理解してもらえない」状態を指す言葉として、「カサンドラ」が用いられるようになりました。

https://snabi.jp/article/86#e4idf

カサンドラは主に、ASD当事者のパートナーが感じる情緒的すれ違いや、コミュニケーション不全によって引き起こされます。

しかし最近ではもう少し広い意味で使われることもあり、ADHD当事者の家族がカサンドラを語ることもあります。

カサンドラは医学用語ではないため、「ここまでがカサンドラである」という明確な線引きはありません。

よってカサンドラは、発達障害当事者の周辺にいる人が当事者の特性によりメンタルを病んでしまう状態全般を広く指すと考えてよいでしょう。

カサンドラによって救済された人々

カサンドラという言葉は、当事者との関係に苦しむ人々の存在を浮き彫りにし、孤独から救済してきました。

発達障害が「見えない障害」を顕在化させたことと同様に、カサンドラが当事者の周辺で苦しむ人々の心の問題を顕在化させたのです。

かくいう私もカサンドラの経験者。

夫の引き起こす金銭トラブルに向き合う中で、気力を奪われ、絶望に打ちひしがれた過去があります。

このブログを始めたきっかけは、夫に対する負の感情から抜け出すためです。

※夫のADHDを受け入れるまでの道のり↓

私自身、カサンドラを自覚した瞬間から、ようやく自分の感情と向き合うことができるようになりました。

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はっさく

夫も苦しい。でも私も同じように苦しんでいる。

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はっさく

私も「苦しい」と言ってもいい存在なんだ。

あのとき私は、泣くほど怒りたかった〜ADHD夫を支える妻のつぶやき

カサンドラという言葉によって、私と同じように苦しむ人々と繋がることができ、前ほど孤独ではなくなりました。

こうした意味でも、私自身カサンドラに救済された1人といえるでしょう。

このようにカサンドラは、今まで声をあげることができなかった人々の心の声を代弁する重要な役割を担っています。

カサンドラが新たな分断を生む原因に?

同時にカサンドラは、多くの不必要な分断と、過剰なまでのディスコミュニケーションを生むこととなりました。

カサンドラの定義が曖昧なばかりに、カサンドラを名乗る人はここ数年で急増。

いわば「カサンドラの乱用」といえる状態が続いているのです。

例えばTwitter上には、「#カサンドラ」というハッシュタグのもと、一見パートナーの悪口にしか思えないような刺々しい投稿が多く存在します。

カサンドラの魔法にかかれば、「ちょっと度が過ぎていないか?」というような言葉まで正当化されてしまう・・・。

「私はカサンドラ。あなたには十分すぎるほど苦しめられてきた。だからこれくらいの発言(暴言)は正当化されるべき。」

はたしてそれは、本当なのでしょうか。

たしかに中には、相手の特性が強すぎることにより、ありったけの対話を尽くしてもなお、相手との情緒的な関わりが望めず疲弊している真のカサンドラさんもいることでしょう。

しかし多くのカサンドラは、夫婦間のコミュニケーション様式や価値観のズレによって生じており、相手の特性「だけ」に起因する真のカサンドラは、ごく少数であると考えています。

例えば私は、夫の発達凸凹と向き合う中で、自分自身の凸凹にもかなり自覚的になりました。

「夫のADHDの問題」だと思っているものは、夫の特性だけが引き起こす問題ではありません。

夫を通して、夫のあれこれにひどく動揺してしまう、融通の利かない私自身の特性も見えてきます。

夫のあれこれは、私自身の抱える弱さの投影であり、夫のADHDにまつわる全ての問題は、私たち夫婦のコミュニケーションの問題を内包していると感じます。

「皆が凸凹」という視点に立てば〜ADHD夫を支える妻のつぶやき より

行き過ぎたカサンドラは、夫婦間のコミュニケーションの問題を見えにくくさせるばかりか、両者の間の溝を深める原因となります。

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あなたのそれは、本当にカサンドラですか?

カサンドラを正す

行き過ぎたカサンドラが不必要な分断とディスコミュニケーションを生む。

カサンドラの乱用が起こっている今こそ「カサンドラを正す」べき。

私はそう考えています。

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カサンドラは誰のためのものであるべきか

カサンドラという言葉には、自分は「被害者」で相手が「加害者」であると、無条件に定義づけるニュアンスが含まれます。

行き過ぎたカサンドラは、相手を一方的に「加害者」たらしめ、健全なコミュニケーションを放棄させるという意味で、一種の暴力です。

「被害者」である自分のままでは、「加害者」である相手との健全なコミュニケーションは望めません。

カサンドラを安易に主張する前に、いま一度自分自身を振り返りたいものです。

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はっさく

それは本当にカサンドラからくる苦しみなのか?

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はっさく

全てカサンドラのせいにしていないか?

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はっさく

2人の間で最善は尽くされたのか?

カサンドラを自覚する相手が自分にとって大切な人で、その人との健全なコミュニケーションを望むのであれば尚更です。

これは私自身への戒めでもあります。

カサンドラは誰のためのものなのか、そのことをいま一度考え直す必要がありそうです。

まとめ

今日は【カサンドラの功罪】について考察しました。

◆まとめ◆

カサンドラによって救済された人々

  • 発達障害=「見えない障害」を顕在化
  • カサンドラ当事者の周辺で苦しむ人々の心の問題を顕在化

行き過ぎたカサンドラは不必要な分断とディスコミュニケーションを生む

  • 行き過ぎたカサンドラは、相手を一方的に「加害者」たらしめ、健全なコミュニケーションを放棄させる一種の暴力

⇒「カサンドラを正す」ことの重要性

カサンドラという言葉が多くの人に知られること。それ自体はとても歓迎すべきものです。

しかし、カサンドラが乱用されることへの強い危機感を感じるようになったのも事実で・・・この違和感をいつか言葉にしたいと考えていました。

傷ついた末にたどり着いたはずのカサンドラが、いつしか「暴力」へと変化してしまわぬように。

カサンドラがいつまでも、ただ孤独に苦しむ人々への救済の言葉であり続けることを望んでいます。

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