こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
突然ですが、「アスペルガー症候群」(現在では自閉スペクトラム症/ASD)の名前の由来を知っていますか。
アスペルガー症候群は、オーストリア・ウィーンの小児科医ハンス・アスペルガーの名前からとったものです。
先日Eテレで、ハンス・アスペルガーについてのドキュメンタリーがやっていました。
その内容が衝撃的すぎたので、備忘録としてまとめます。
アスペルガーは発達障害のある子どもの才能を見いだした小児科医・教育者として有名です。
しかし彼には、信じられないような裏の顔がありました。
1.アスペルガー症候群とは
アスペルガー症候群は自閉症のひとつです。
従来の自閉症には3つの特徴的なパターンがあるとされてきました。
- 対人関係の障害
- パターン化した興味や活動
- 言語・知能の発達の遅れ
アスペルガー症候群は3つのうちの「3.言語や知能の遅れ」がないものを指します。
アスペルガー症候群の人は、こだわりが強く、人への興味関心が薄いという特徴があります。
一方で、知能が並外れて高く優れた才能を発揮する人も多くいます。
2.アスペルガー症候群を発見した小児科医
アスペルガー症候群を発見したのは、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガー(1906-1980)です。
アスペルガーは、ウィーン大学で自閉的傾向のある子どもたちの研究に携わりました。
彼の勤務した治療教育診療所は、集団に馴染めない子どもたちを教育的に指導する場所でした。
そこは今でいう"療育的な関わり"を重視する、非常に画期的な場所だったといいます。
彼はそこで、自閉的な傾向を持つ子どもの中に、優れた言語感覚を持つ子どもがいることを発見しました。
彼はこうした子どもたちの能力開発に情熱的に取り組みました。
医師には、全身全霊をかけて、これらの子どもたちに変わって声を上げる権利と義務がある。ひたむきに愛情を掲げる教育者だけが、困難を抱える人間に成功をもたらすことができる。
(1944年 アスペルガー論文「小児期の自閉的精神的病質」より)
アスペルガーは、障害のある子どもたちに特別な才能を見出した「良心の医師」として、世界中から注目されました。
そして戦後、発達障害は彼の名をとり「アスペルガー症候群」と呼ばれるようになりました。
※アスペルガー症候群は、2013年のアメリカ精神医学会(APA)の診断基準DSM-5の発表以降、自閉症や広汎性発達障害などと合わせて「自閉スペクトラム症」となりました。
3.ナチスとアスペルガー
しかしここ数年の研究で、「良心の医師」アスペルガーの裏の顔が明らかになりました。
なんと彼は、ナチスが遂行する障害のある子どもたちの「安楽死計画」に積極的に関わっていたのです。
1933年に、オーストリアの隣国ドイツでヒトラー政権が成立します。
ヒトラーは優生学(=優秀な人間だけを選別し、遺伝的に劣ると考えられる人間を排除する思想)にもとづき、力強い民族共同体を生み出そうとしました。
第2次世界大戦が開始すると、ナチスドイツは障害者や難病患者に対する「安楽死計画」を進めます。
これによって多くの障害者(障害児)が虐殺されました。
※詳しくはこちら↓
1938年には、アスペルガーの祖国オーストリアもナチスドイツに侵攻されます。
アスペルガーは次第にナチスの思想に傾倒していきました。
新しい帝国の「全体は部分より大きい」という考えのもとでは、国家が個人より優先されなければならない。そのためには遺伝病を予防し、優生学を浸透させるべき。
精神的に異常な児童への支援に専念することが国家への裁量の奉仕となる。民族の役に立つように、これを成功させなければならない。
(1938 アスペルガー講演「精神的に異常な児童」より)
ウィーンのシュピーゲルグルント児童養護施設では、「教育不可能」と診断された障害のある子どもたちが、「療養」という名のもとに虐殺されていました。
アスペルガーは小児科医として、たくさんの子どもたちに「教育不能」の診断を下し、シュピーゲルグントへ送り出したとされています。
アスペルガーは、治療の効果が期待できる子どもには情熱を持って関わりました。
しかし同時に、治る見込みのない子どもは容赦なく切り捨てていたのです。
子どもたちを生産性のあるなしで選別する彼の行動原理は、ナチスの理念に徹底的に基づいたものでした。
アスペルガーはナチスの安楽死計画に間接的に関与していた。「良心の医師」などでは全くなかったんだ・・・
4.まとめ
今日は、アスペルガー症候群の名前の由来となった小児科医:ハンス・アスペルガーを紹介しました。
発達障害を見いだした医師が、発達障害のある子どもを虐殺する。
何ともショッキングな話ですね。
「発達障害」を見いだし療育的な関わりの大切さを実証したこと、その影で多くの発達障害児が虐殺されたこと・・・
現代を生きる私たちは、彼の残した光と闇に、真摯に向き合っていくべきだと感じました。