グレーゾーンなわたしたち

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私と愛着⑦~「母に否定されたくない」気持ちの根源にあるもの

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こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。

ちょっとASDでHSPな私の心の闇を語るシリーズ

【私と愛着】第7回。

今日は「母に否定されたくない」気持ちの根源を探ります。

夫のことを、母にだけは否定されたくない。

そう思ったある日の出来事から、母との過去に思いを馳せてみました。

※私と愛着⑥はこちら↓

 

お願い、夫を悪くいわないで

先日、夫のことで今苦しい、と母に電話で話したら、

母は震える声で私にこういいました。

「もう、休憩しよう?」

別に深い意味はなく、ただ私を心配してくれただけなのでしょう。

でもその瞬間、私の心は足場を失ったかのようにグラグラ揺れて、

母にトゲのある言葉を放ってしまいました。

「休憩するって何?家族とのことを投げ出すわけにはいかないの!」

前にもありました。

夫の金銭トラブルが最も深刻だったときのこと。

不安で押しつぶされそうになって、母に泣きながら電話したことがあります。

「○○くん(夫)はずるい」

「離婚したっていいんだよ」

「もう家に帰っておいで」

その言葉が悲しくて、ものすごく腹が立って、一方的に電話を切りました。

母に、夫や夫との生活を否定されたように感じたのです。

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夫は私にとって大切な家族。

どんなに苦しくても、私はこの人と、この家で頑張りたい。

だから、夫のことを悪くいう言葉も、

夫婦の問題を「投げ出してもいい」なんて言葉も、

死んでも聞きたくない、母の口からは。

それを聞いたら、自分の足で立てなくなってしまう気がするのです。

「母に否定されたくない」の根源は

以前の記事で、母に対する見捨てられ不安についてお話しました。

私は母と意見が食い違うと(ちょっとでも否定的なニュアンスのことを言われると)、私の何かを否定されたような気がしてとてつもなく不安になります。

・・・それはただの不安ではなくて、むしろ恐怖に近い感情。

大切なものに見捨てられたような、言い様もない恐怖です。

幼い私と愛着の話①~ちょっとASDでHSPな私より)

私は子どもの頃から、母にどう思われているかを過剰に気にする子どもでした。

それなりに反抗期もすごかったし、母が聞いたら「うそでしょ?」と思うかもしれません。

あの頃の私は、本当の意味で「反抗」していませんでした。

口では母をなじるひどい言葉もいってきたけど、

私はいつだって、母の言葉に激しく一喜一憂し、母に否定されないように過ごしてきたのだから。

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母は、子どもに何かを直接的に押しつけるようなことはしません。

でも、私には全部伝わっていました。

彼女の言葉や態度から透けて見える、彼女が決して信じて疑うことのない揺るぎない価値観や倫理観。

私から見た母は、あまりに「潔癖」で、私は母のそれにずっと苦しんできました。

幼少期、物心ついてからは、母がよく思っていない本やおもちゃは、あまりねだらなくなりました。

思春期以降は、友人関係も、恋人とのことも、母が顔をしかめそうな出来事はひた隠しにしてきました。

(母には何かを隠していることすらも気づかれないくらい、それは巧妙にやってきたと思います)

母が好きではなさそうな音楽や映画も、母に隠れて楽しむようになりました。

母がよく思わないであろう自分自身は、この世には存在しなかったことにして。

あの見えないピリピリは、母自身の個性であり、私に対する「こうあるべき」ではなかったのかもしれないと、頭のどこかでは思っています。

でもなぜか、母の意向に添う自分であることが、母に好かれるための「絶対条件」な気がしていました。

これは幼い頃にすり込まれた間違った「思い込み」だということも、頭では理解しています。

それでも私は、大人になった今も「(母にとって)正しくあらねばならない」という思い込みから抜けきれずにいます。 

私は私の人生を生きたい

母は、私たちの夫婦関係を心から応援してくれています。

ただ、私たち夫婦の抱える問題があまりにも大きすぎると、母自身の心も揺れるようです。

特に、夫のADHDが引き起こすあれこれで、娘の私が苦しんでいる姿を見ると、母の心も大きく揺れて・・・

母の動揺は、全て娘の私に伝わります。

親だから、子どものことで心が動くのは、当然といえば当然。

でも、母の動揺がどうしても耐えられない私がいます。

私は、いつでも母に

「よくやっているね」

「がんばっているね」

と応援されたい。

夫とのことに関しても同じです。

苦しいときほど(それが母にとって受け入れがたいことであったとしても)、

母には全てを、無条件で肯定してほしいと思ってしまう。

でも・・・

私は母に認められたいから生きているわけではないし、

母に認められたいから、夫と一緒になったわけではない。

私はそろそろ、私の人生を生きたい。

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そして、

母を1人の人間として尊重できるようになりたいし、

母の言葉を素直に受け取れる自分になりたい。

いつの間にか私も親になってしまいましたが、

そんなことを、今頃になって強く思うようになりました。

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※私と愛着⑧はこちら↓