こんにちは。【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
私の夫は発達障害グレーゾーン。
ADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向が強く、日常生活における不注意や衝動性に悩む、いわゆる「大人の発達障害」の当事者です。
今日は発達の凸凹について、私が最近強く感じていることを言葉にします。
世間話をするように、夫の話をしてみたい
今まで匿名で夫のことを発信してきた私ですが、夫の特性の話を外でするのはとても気を使います。
それは大人の発達障害への理解が正しくなされていないことや、夫のような白とも黒ともつかない「グレーゾーン」の人への理解が薄いということ・・・いろんな理由がありますが、とにかくいつもブレーキがかかってしまいます。
今まで夫のことを話せたのは、たった1人の親友だけ。
※親友に夫の発達障害を打ち明けた話↓
でも本当は、夫の話をもっと誰かに聞いてもらいたい。
まるで世間話をするかのように、より多くの人に夫を知ってもらいたい。
そんなことを思っています。
夫の困り感、どうすれば正しく伝えられる?
どうすれば、夫という人間を正しく理解してもらえるのだろう。
どうすれば、夫の困り感を上手く伝えられるのだろう。
私なりにいろいろ試してきました。
例えば、「夫はADHDだ」といきなり吐露するのは重すぎるかと、「ADHD」を抜きにしてこんな話をしてみます。
「うちの夫、光熱費の支払いをいつも滞納するんだよね」
「うちの夫、すごく忘れっぽくて、何度いっても抜けちゃうんだよね」
すると、大抵相手の反応はこんな感じ。
「だらしないなぁ」
「頑張りが足りないんじゃない?」
「ビシッといってやりなさいよ!」
こんな言葉を聞く度に、ひどく落ち込み「話さなければよかった」と思うのです。
特にお金の問題は社会的信用に関わるものであり、「ひどい!」「大丈夫なの!?」という驚きが勝ってしまい、夫の困り感のみにフォーカスして冷静に聞いてもらえることはほとんどありません。
かといって、「夫はADHDだ」と堂々と話すと、今度はその「ADHD」が一人歩きしてしまい、逆に傷つくことがあるのです。
※夫を「障害者」だといわれて傷ついた話↓
夫のことを「だらしない」の一言で片付けられるのも、「障害者だ」と扱われるのも、そのどちらも嫌。
大好きな夫のことを変に誤解されるのは、もうたくさんです。
「発達凸凹を語り合う会」にて
それが先日、まるで世間話でもするかのように、夫のことをフラットに話せる瞬間がありました。
とある団体が主催する「発達凸凹を語り合う会」に初めて参加したときのこと。
これは発達凸凹に関心のある人が集まって勉強したり、悩みを打ち明けたりする場です。
我が子の凸凹、自分の凸凹、パートナーの凸凹・・・発達障害児のママも、そうでない人も、皆それぞれの困り感を持ち寄って、ざっくばらんに話します。
参加する直前まではいろいろな葛藤がありました。
参加者の中には、夫と顔見知りの人も何人かいます。
夫の問題(金銭トラブルなど)をオープンにすることで、夫を誤解されてしまったらどうしよう・・・
でも、会の主催者のこんな言葉にとても共感し、一気に肩の荷が下りました。
「『発達障害』かそうでないかの二元論では本質は語れません」
「皆、多かれ少なかれ発達の凸凹を抱えています」
「自分の凸凹した部分を理解することは、生きていく上で強みになります」
そこにいる誰もが「皆が凸凹」を理解してくれている。
そんな安心感があったからこそ、夫のことを理解してもらおうと気を張る必要がなくなり、思いをストレートに話すことができました。
それはとても心地のよい、清々しい体験でした。
「皆が凸凹」という視点に立てば
「皆が凸凹」
その視点に立てば世界の見え方が変わります。
「夫のADHDの問題」だと思っているものは、夫の特性だけが引き起こす問題ではありません。
夫を通して、夫のあれこれにひどく動揺してしまう、融通の利かない私自身の特性も見えてきます。
夫のあれこれは、私自身の抱える弱さの投影であり、夫のADHDにまつわる全ての問題は、私たち夫婦のコミュニケーションの問題を内包していると感じます。
あなたも私も、皆が凸凹。
皆どこかしら凸凹を抱えた地続きの存在。
誰もがその視点に立てば、今までの居心地の悪さも、夫をなじるような心無い言葉も、全てこの世から消滅するし、そうすれば世界はもっとフラットになる。
そんなことを強く感じます。