こんにちは!【ADHD夫を支える妻】はっさくです。
シリーズ【発達障害の受容】。
第1回目は、発達障害を支える家族の視点からの障害受容についてお話ししました。
gray-zone-family.hatenablog.com
第2回目は【発達障害グレーゾーンの受容】について。
「グレーゾーン」は発達障害の中でも特殊な存在であり、特性を受容する際の葛藤も「発達障害者(←診断名がついた人を区別して呼びます)」とは異なります。
今日はグレーゾーンならではの葛藤や、そこに向き合うためのポイントなどについてお話しします。
グレーゾーンの立ち位置
夫はADHDの傾向がありますが、厳密にはADHDではなく「ADHDグレーゾーン」です(そして私は「ASDグレーゾーン×HSP」)。
グレーゾーンは「障害者」と「健常者」の間の微妙な立ち位置にいます。
私たちが抱えている生きづらさは、白とも黒ともつかない「名前のない生きづらさ」です。私たちが自己の特性と向き合うとき、当然そこにはグレーゾーンならではの葛藤が存在します。
グレーゾーンの受容は難しい?どんな葛藤があるの?
グレーゾーンの人の生きづらさを解消するためには、「発達障害者」と同様、「自らの特性を受け入れる」ことが重要です。しかしグレーゾーンの人には「発達障害者」にはない葛藤があり、そのことが特性の受容を難しくさせています。
具体的には以下です。
葛藤①「診断名がつかないこと」
グレーゾーンは特性はあるけど診断名がつきません。
精神科医の本田秀夫さんはこういった人たちを、「『ちょっとAS(自閉スペクトラム)』で『ちょっとADH(注意欠陥・多動)』な人たち*1」と呼んでいますが…
このようにはっきりとした診断名がつかないことが、グレーゾーンの生きづらさを曖昧にし、特性を受け入れにくくしています。
葛藤②「これは『努力不足』か『特性』か?」
グレーゾーンの人は、何かにつまずいたときに、それが「努力不足」によるものなのか「特性」によるものなのかの判断がつきにくいという悩みを抱えています。
グレーゾーンの人は「がんばればできる」ことが多く(逆にいえば「がんばらないとできない」ことも多いのですが)、このことが特性を受容するどころか、特性に気づかず自分を追い込みすぎてしまう原因となるのです。
葛藤③「周囲の理解を得られにくい」
発達障害の受容は周囲の理解が必要不可欠です。
しかし、①のように診断名がつかず、②本人も「努力不足」なのか「特性」なのかわかりにくいグレーゾーンの場合、周囲の理解を得られにくくなり、このことが特性の受容を妨げます。
周囲の理解を得ようと努力したとしても、診断書の有無が相手の理解度を大きく左右するという現実に直面することもあります。
葛藤④「『自分の生きづらさなんて・・・』という意識」
①②③が複合的に絡まりあった結果、「自分の生きづらさなんて大したことない」と投げやりになってしまったり、「もっとしんどい人が世の中にはいるはずなんだから」と特性を軽視してしまうグレーゾーンの人は少なくありません。
このような状態に陥ってしまった場合、自らの特性を前向きに受け入れることが難しくなります。
グレーゾーンを受け入れる!ポイントは?
ポイント①「『障害』という名前に振り回されない」
発達障害は「見えない障害」といわれ、厳密な診断が難しく、医療機関によって診断名がついたりつかなかったりするのが現状です。
また障害が重複している場合、互いの特性を打ち消し合って診断が出ないことがあります。その場合、「困り感」は強いにもかかわらず診断がおりないという事態に陥ります*2。
ここからいえるのは、「グレーゾーンだから生きづらさが軽い」とは一概にいい切れず、グレーゾーンを引け目に感じる必要は全くないということです。
ポイント②「やるべきことは『発達障害者』も『グレーゾーン』も同じ」
グレーゾーンは自分の「苦手」に明確な名前がつかない難しさがあります。
しかし特性の受容という意味では「発達障害者」とやるべきことは同じです。
発達障害の受容も、本来は「自分はADHDだから」「ASDだから」ではなくて、自分が何に困り感を持っていてどう生きづらいのか、それを解消するためにはどうしたらよいのか、自分自身と正面から向き合って考え、実行に移すことが大切です。
診断名の有無や「障害」という言葉にとらわれず、生きづらさそのものと向き合うことで、ひとつずつ課題をクリアしていくことができるのです。
おわりに
以上、グレーゾーンの受容について、グレーゾーンならではの難しさやポイントを整理しました。
夫や私も自らの特性と向き合いながら日々葛藤しています!(>_<)グレーゾーンの人の生きづらさが少しでも軽減されることを願っています。
(^^)/
※グレーゾーンのつぶやきも合わせてお読みください。