こんにちは。気圧の関係かメンタル不調が続いているはっさくです(*¯ㅿ¯*;)
そんな私、少し前まである考えにグルグルとらわれていました···(><)
「もし夫が私と出会わなかったら、彼は一生ADHDという言葉と出会うこともなく、自分のADHDを自覚せずに済んだのかしら?」
今日は、ADHD夫を支える妻のちょっと弱気なつぶやきです。
- 自分の特性に対して他人事のような夫
- 孤独で苦しかった夫との日々
- 「ADHDと向き合ってほしい」と言い続けてきた
- その「困り感」は誰のもの?
- 私が夫を「ADHD」にした?
- 夫に聞いてみた
- 私発信の「困り感」でも結果はオーライ
- いつか
自分の特性に対して他人事のような夫
前から気になっていたのですが、夫は自分の特性(ADHD)に対してどこか他人事のようです。
物忘れやうっかりミス、金銭トラブルなど、日常のヒヤリハットがとても多いはずなのに、オロオロしているのは私の方。当の本人はどこか飄々としています。
もとをたどれば、夫がADHDではないかと気になりだしたのも、心療内科の受診を進めたのも、全部妻である私。夫の発達障害に関する全てのアクションが私発信で進められているのです。
孤独で苦しかった夫との日々
私にとって、夫が引き起こす金銭トラブルは驚きの連続でした。
gray-zone-family.hatenablog.com
こじれてしまった問題を一つ一つ解消していく果てしない作業の中、「私がしっかりしないと我が家は崩壊してしまう」という焦りと責任感を常に感じてきました。
夫のことを誰にも言えず1人で抱え込んできた私にとって、それは孤独で苦しい戦いでした。
「ADHDと向き合ってほしい」と言い続けてきた
夫にADHDの特性があるとわかってからは、夫がトラブルを起こす度にこう伝えてきました。
「ADHDを自覚し、そこにちゃんと向き合ってほしい」
その裏には、「夫は日常生活で困り感を抱えているに違いない」という“勝手な思い込み”があったのです。
夫の特性によって引き起こされる諸々の金銭トラブルは、私にとっては生活の基盤を脅かすほど大きな「困りごと」でした。
その「困り感」は誰のもの?
でも、最近こんなことを思うのです。
それらは夫発信の「困り感」だったのかな・・・?
「夫がADHDを自覚し向き合うことで、苦しい現状を変えることができる」
ずっとそう思ってきたけど、夫は本当に現状を変えたいと思っていたのだろうか。“夫のため”とやってきたことが、全て私の独りよがりだったとしたら・・・ 。
私が夫を「ADHD」にした?
「ADHDを自覚し向き合うこと」
このメッセージによって、私は夫に「人とは違う自分」「人よりできない自分」を突きつけてきたのかもしれません。
私と出会わなければ、夫は自分が「ADHD」だと自覚しなくて済んだかもしれない。
夫に聞いてみた
先日ふと、夫に聞いてみました。
「今までいろんなお金のトラブルがあったけど、あなたは本当に『困っていた』の?」
「発達診断に行ってほしい、ADHDと向き合ってほしい、そんな言葉で私はあなたを傷つけてきたのかな?」
伝えながら涙が止まりませんでした。
夫の答えはこうでした。
- 自分は仕事さえできていれば私生活はハチャメチャでも気にならない。
- 自分が引き起こした金銭トラブルについては、「まぁこんなもんだろ」という感じで、あまり大ごととは思っていなかった。
- だけどあまりにオロオロ泣く妻をみて、「これってそんなにダメなことなのかな?」「自分はおかしいのかな?」と気になりはじめた。
······なるほど。感覚の違いがここまであるとは······!
そして私は、改めてこのことを痛感せずにはいられませんでした。
夫をADHDにしたのは、やっぱり私だったのだ、と。
私発信の「困り感」でも結果はオーライ
だけど夫は、こう言ってくれました。
「俺は発達診断が嫌だった。自分の苦手をさらけ出して怒られにいくみたいな気分だった。けど、今では自分のADHDの特性がわかってよかったと思ってる。はっさくには感謝してるよ」
そして、こんなことも。
「はっさくは俺のADHD的な部分を嫌っていて、『当然直すべき』と感じてると思っていた。まさかそんなことを考えてくれていたなんて嬉しい。そういうところがはっさくのいいところだね」
その言葉にはとても救われました。
いつか
今日は、ADHD夫を支える妻の「夫を『ADHD』にしたのは私なのか」という問いについて考えました。夫の話からわかったのは以下です↓
・夫をADHDにしたのは、やはり私だったのかもしれない。
・私は夫に「困り感」を押しつけていたのかもしれない。
・それでも夫は、自分の特性がわかってよかったといってくれた。
夫のADHDがわかって、私は「夫が私をわざと苦しめている」という考えにとらわれなくなりました。そして夫を必要以上に責めることをやめました。
たとえ複雑な状況であったとしても、夫のADHDがわかったことは、互いにとって結果オーライだったのかもしれません。
モヤモヤを夫に話せて、少し心が晴れたようでした。
いつかADHDとか、発達障害とか、生きづらさとか、苦手とか、そういうものをお互いに意識しなくていいような、そんな気楽な関係になりたいものです。
(^^)/