こんにちは。はっさくですー(^^)
最近夫のADHDのことばかり書いていたので、たまには私自身のことについて。
私はASD(アスペルガー)傾向の敏感さん(HSP)です。HSPとASDって表裏一体なところがあるから、実際のところ自分が発達障害なのか、ひどいHSPなのかはよくわかりません。
そんな私は、幼少期からこだわりが強くヒステリックな感じの「完璧主義人間」でした。
もし私が心身共に100%の完璧主義人間だったら、「理想を実現し続けること=幸せ」となっていたのかもしれません。
でも不完全な私は、完璧主義と敏感さが相まって、ひたすら自分で自分の首を絞め続けてきたのです。
この上なく「完璧主義」な私
私の中にはいつも高い理想がありました。そしてそれを実現するために、脇目も振らず突っ走ってきました。
学校の成績はずっとオール5だったし、勉強に運動に、何事にも全力で取り組む私はいわゆる「優等生」でした。
ピアノの発表会があるときは、誰に言われるでもなく猛練習しました。母は、幼い私の楽譜が小さな「正」の字で強迫的に埋め尽くされているのを見て、すごく驚いていました。
両親は私が頑張りすぎると「ちょっと根詰めすぎじゃない?少しは休んだら?」と心配してくれました。それでも私は頑張り続けました。
なぜそんなに頑張るのか。
私はクラスで一番になっても、先生に褒められても、ちっとも嬉しくありませんでした。
ひとつ言えることは、ただ「頑張っていないと不安」なのです。
「頑張っていないと不安で気持ち悪い。だから頑張り続けなければならない」
それが一番の理由。
けれど、頑張れば頑張るほど周りから期待されて、それに伴いどんどん理想も高くなって・・・それを実現することは、私の喜びでも何でもなく、ただの苦しい作業となっていきました。
「理想は実現しなければならない」
今思えば、これこそが私の究極の「こだわり(思い込み)」だったように思います。
「完璧主義」だけど不器用
冒頭でも触れたように、純粋に100%の完璧主義人間だったらよかったのに、私はそうではありませんでした。
私はとても不器用なのです。バカ正直というか、上手く立ち回ることが苦手というか、とてつもなく不器用なのです。
本当は何事も全力で頑張りたい。でも、何かを頑張ると何かが抜けてしまうのが私なのです。
小学校の書写の時間、文字を書くことにひたすら集中していたら、いつの間にか授業が終わっていました。見渡せば、なんと周りは給食を食べ始めていたのです!!(何で誰も声をかけてくれなかったんだろう・・・(ToT))
昔から何かに夢中になると、どうも周りが見えなくなるのです。
厄介なことに、見えなくなるのは周りだけではなく、自分自身についてもです。
例えば「しんどいよ」っていう自分の体や心の声が聞こえなくなる。そして気がづいたときにはひどい体調不良やメンタル不調に陥っていて、取り返しがつかない状態になっています(仕事もそれで辞めました)。
体が弱いと言われ続けてきたけど
昔からよく「体が弱い」「メンタルが弱い」と言われ、その言葉に傷ついてきました。
実際は、体やメンタルが弱いわけではなくて、自分の強迫観念に敏感な心と体がついていかずに疲弊してしまうという感じ。
無理をするとよく熱を出していたし、ヘルペスや謎の蕁麻疹に悩まされ続けてきました。
大学受験の本番は、高熱でフラフラになりながら試験会場に行きました。受験勉強の終盤にかけては、参考書を開くだけで熱が出て呼吸が苦しくなっていましたが、それでも勉強することをやめませんでした。
このように、完璧主義と敏感さ(あるいは心身への鈍感さ)が相まって、人一倍自分を追い込みやすい質だったのです。
そんな私が選んだ人生は?
あのまま突っ走っていたら、一体どうなっちゃっていたんだろう・・・。
どんどん突き進んで大きな何かを成し遂げていたのかもしれないけど、その頃にはもう私は私じゃなくなっていたかも。
幸い私は夫と出会い、今も私のままでここに存在することができています。
ちょっと頼りないけど憎めないADHDの夫の妻として、また、人一倍敏感な子の母として、静かな日常を過ごすことができています。
とはいっても、ADHDの夫との生活は理解不能なまでの驚きの連続だし(!)、敏感っ子の息子はあれこれ母の手を焼いてくるから大変(^0^;)
だけど彼らのおかげで、「私の理想は○○だから」とか「私はどうしても○○しなくちゃいけないの!」とかいちいち言っていられなくなりました(それしてたらマジで身が持たないw)。
そういえばここ数年は、ヘルペスや蕁麻疹に悩まされることがなくなりました。
疲れたら寝るし、泣きたいときは泣く。できないものは「まあいいか~」と流す。当たり前だけど、そうしないと心も体も死んでしまいますからね。 そうしているうちに、ちょっとは性格も丸くなったかな?
何も持たないただの私だけど、私がちゃんと私のままで生きていることが奇跡(^^)
何もない今の私から、本当の私自身の人生が始まるのです。
もう完璧でなくていいから、これからは自分の心や体の声に耳を傾けて、自分が本当に心地のよいことを大切にしていきたいです。
おしまい!