グレーゾーンなわたしたち

【ADHD夫を支える妻】はっさくのブログ。発達障害、HSP、メンタルトレーニング、教育に関するあれこれを発信中!

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生きるか死ぬかの戦い~発達障害&敏感っ子だった私が見ていた世界

こんにちは。はっさくです!
 
コロナのせいで店も閉まってどこにも行けず、おうちでまったり過ごす日々。まるで正月みたいなので、夫と勝手に「コロナ正月」と呼んでいます(^0^;)
 
今日は、前回に引き続きはっさくの過去についてのお話です。
 
ASD特性ありの敏感っ子(HSC)だった私。長期記憶にたけている私は、幼い頃の辛かった日々を鮮明に記憶しています。今回は、保育所で私が感じていた「生きるか死ぬかの戦いの日々」を言葉にしてみます。
 
 

保育所は「戦場」

 
当時両親は夜勤のある仕事をしており、幼い私は朝から晩まで保育所に預けられていました。私は保育所が大嫌いで、問題行動を起こしては母や先生を困らせていました。
 
私にとって保育所は恐怖の場所でした。ぎゅうぎゅう詰めの子どもたち、ひびきわたる金切り声、ドスンドスンと大きく揺れる地面・・・・・・それだけでも怖いのに、私がパニックになると先生に鬼のように叱られる。私にとっては何もかもが恐ろしくて、そこはまるで「戦場」でした。

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保育所での私は「生きるか死ぬかの戦い」の最前線に立つ小さな戦士だったのです。
 

活動の変化が嫌い

 
保育所での集団生活は、私のペースとは関係なく活動がコロコロ変化します。こだわりが強く変化を嫌う私は、活動が切り替わるたびにひどいかんしゃくを起こしていました。不器用な私がひとつの活動にようやく馴染んだ頃には、すぐに次の活動がやってきます。見通しの立たないことの連続で、尋常ではない不安や恐怖を感じていたことを覚えています。
 
世の中が高速で目まぐるしく進んでいて、何が何だか訳がわからなくなって・・・・・・1人だけ立ち歩いていたり、大泣きしていたり、だだをこねていたりしていました。
 
周囲からは「空気の読めない子」と思われていたでしょう。実際は、先生の怒った顔も、周囲の冷たい目もちゃんと理解していて・・・・・・でも、自分ではどうにも止められないのが苦しかったです。
 

トイレが怖くて恥ずかしい

 
私はトイレが大嫌いでした。感覚過敏のせいか、芳香剤の鼻を付く臭いや(ブルーレット的な色水が勢いよく流れるのも怖い><)、水の流れる音が死ぬほど怖かった。
 
保育所のトイレは古い和式!汚くて暗くてとびきり怖かったです(ToT)!!!
 

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おまけに、保育所のトイレ休憩は流れ作業のようで、ドアを開け放したまま、子どもたちが次から次へと用を足していくのです・・・!ただでさえ怖いトイレなのに、早く早くと急かされるなんて無理だよ・・・(>_<)!
 
また、言葉の発達がとても早かった私は、2歳の頃にはすでに自意識過剰なまでの羞恥心がありました。だから、自分が用を足すのを後ろから覗き込まれることが恥ずかしくてたまりませんでした。
 
気持ちが高ぶって、後ろから入ってきた子に噛み付いてしまったことが何度もあり、すごく叱られました。
 
何が嫌なのか、言葉で説明できたらよかったのに・・・悔しいですね。
 

友達への攻撃は「正当防衛」

 
私は人に距離を詰められるのが苦手でした(今も苦手です)。パーソナルスペースを十分保ちたいので、いきなり自分の領域に誰かが入ってくるのが嫌でなりませんでした。
 
当たり前ですが、保育所には私の他にたくさんの子どもがいます。だから自分の領域が日常的に脅かされている状態でした。周りはみんな敵に見えていたし、常に戦闘モードでピリピリしていたのです。
 
中には私を好いてくれる友達?(一方的な愛でした)もいて、ぐっと距離を詰めてくるのですが、そのたびに思い切り叩いたり噛みついたりしていました。「生きるか死ぬかの戦い」の中で生き延びるには、叩くも蹴るも噛みつくも、どれも「正当防衛」だったのです。
 

叱られながら考えていたこと

 
かんしゃく持ちで周囲に危害を加えてしまう私は、毎日のように先生に叱られていました。口が達者だったので、大人から見たら可愛くない子だったでしょう。
 
保育士さんも母もそんな私にかなり手を焼いたそうでしたが、私からしたら「常に誰かに叱られている」という感じ。
 
叱られながら思っていたことは、こんなことでした。
 
「みんな私のこと嫌いなんだ」
「私は悪い子なんだ」
「私だってしんどいのに」
「大人は誰もわかってくれない」
「子ども扱いしないでよ」
 
自分がなんで怒っているのか、なんで友達を叩いたり噛みついたりしたのか、ちゃんと理由があるのに、私が口を開くと全て「ちがうの!ちがうの!いや!いや!」というような言葉になっちゃう。
 
大人はみんな私の表面的なところしか見ていなくて、いつもとんちんかんなことばかり言って、私を「悪い子」と決めてかかってくる。
 
私のSOSは可愛くないから、誰にも受け止めてもらえず、とにかく孤独でさみしかったです。
 

当時の私が大人に伝えたかったことは・・・

 
「私のSOSに気づいてほしかった」
 
この一言につきます。
 
発達障害の子や敏感っ子は、一見すると「乱暴な子」「自分勝手な子」と誤解されやすいです。
 
問題行動の裏には必ず原因があります。だけど、自分で自分のことをうまく表現できないから困っています。
 
私のトゲトゲした言葉や態度を真に受けるのではなく、その裏に隠されたしんどさに寄り添ってほしかった。
 
頭ごなしに叱らずに、横について優しい声をかけてほしかった。
 
見通しを立てる手助けをしてほしかった。
 
当時は両親ともに忙しくて、私の不安定な気持ちになかなか気づいてもらえなかったから、余計にしんどかったです。
 
そのときの自分をハグをしてあげたい気分だけど、できないから・・・せめて当時の私の気持ちをここに記します。
 
私が過去を回想することで、私と同じような子どもたちのことを知ってもらえたらなぁと思います。
 
おしまい!
 
【追記】
そんな私ですが、後に「森のようちえん」と出会ってかなり変わりました★
詳しくはこちらの投稿をお読みください↓↓

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