こんにちは。はっさくです。
発達障害のグレーゾーンとして生きる夫と私。互いに「普通」とはちょっと違う「マイノリティ」としての自己を強く自覚しています。
今日は、そんな私たちが「マイノリティの心がふわっと軽くなる3つの瞬間」についてお話します。
マイノリティの心がふわっと軽くなる3つの瞬間
発達障害やHSPなど、「自分はマイノリティだ」という自覚があると、社会の中で疎外感を感じたり、傷ついたりすることが多くなります。マイノリティとして生きることは、正直つらいことの方が多いと感じます。
しかし先日、夫と話していて気づいたことがあります。
マイノリティの張りつめた心がふわっと軽くなる瞬間が、この世に3つだけ存在する。
それはこんな瞬間です。
①マイノリティとしての特性が日の目を浴びたとき
たとえば、こだわりが強く人間関係がうまくいかない発達障害の人。
そのことでいつも落ち込んでばかりだったとしても、こだわり抜く性格が功を奏して、誰かの役に立つものを創り出すことができた瞬間は、
「私は、私のままでいいんだ」と思えることでしょう。
そんなとき、張り詰めた心が少しだけふわっと軽くなります。
②「普通」と呼ばれる人も一人ひとり違うとわかったとき
自分がマイノリティであると自覚するということは、「みんなと違う自分」「普通ではない自分」を自覚するということ。でも、よく考えてみると・・・
「みんな」って、何?「普通」って、何??
「みんな」「普通」と呼ばれる集団の中にも、よく見るといろんな色が存在します。
「普通」と呼ばれる集団は、決して一枚岩ではありません。
「普通」と呼ばれる人たちも、本当は一人ひとり違う個性を持っていて・・・
そのことを考えたとき、一瞬だけ心が軽くなります。
③「普通」との共通点を見いだせたとき
たとえば、いつもクラスの中心にいるA君と、孤独で一匹おおかみのB君がいます。
2人の間には大きな隔たりがあって、互いの世界が交わることはほぼありません。
でも、実は2人とも同じ趣味を持っていて・・・ふとした拍子にそれを知ったとき、2人の世界は初めて交わります。
その瞬間、心がふわっと軽くなります。
逆に、「普通」との共通点が全く見いだせないときが一番つらい。
みんなが楽しく笑っているのに、自分だけ楽しく笑えないとき・・・
みんながさらっとできることが、自分だけどう頑張ってもできないとき・・・
ふと過去の自分が思い出され、涙が出そうになりました。
まとめ
今日は、「マイノリティの心がふわっと軽くなる3つの瞬間」についてお話しました。
①マイノリティとしての特性が日の目を浴びたとき
②「普通」と呼ばれる人も一人ひとり違うとわかったとき
③「普通」との共通点を見いだせたとき
私の夢は、「生きづらさ」を抱える子どものための居場所をつくることです。
上記で述べた3つの瞬間をつくれたら、「生きづらい」と思っている子どもの心をふわっと軽くしてあげられるのかもな~と、ふと思いました。
おしまい。